百人一首のフランス訳。
この小さなお皿もあるとき描いたもの。

アッシジのフランシスコ。
今日の映画は、修道院のなかで聖書の言葉や聖人の言葉を読んでいて、それはとても心に

雪の聖母

モンセラットの黒い聖母。

母が娘のために刺繍をした学校の座蒲団!

ドイツで買ったホタテ貝。木でできてます!

聖ヒルデガルトのマトリョーシカ。

19世紀末にフランスに実在した、先天的に目と耳に障がいを持つ少女マリーと、彼女に
映画を観終わったら、光の雨が降ってきた。
私と娘の物語のように思えた。
死ぬ前に色々、教えないと!
帰りに地下鉄に乗ったら、主人からメールが入った!
娘が心配しているのだという。
アダプターが見つからなかったと思っているのか?
☆映画は実話。
多重障害の女の子を盲学校の修道院に受け入れる。
耳が聴こえないだけでなく、目も見えない。
手話を教えるのも一苦労だ。
ある修道女が、啓示を受けたからその女の子をみたいという。
実際の女の子は10歳で修道院に連れてこられた。
狂暴なので精神病院に入れようというのを父親は思いきれなくて修道院に連れてきた。
映画で演じた女の子は聾唖だったが、目は見えた。バカロレアの資格も持っている。年齢
木に登ることが好きで、どういうわけかナイフが好きなのだ。
モデルのフランスの修道院は当時は女子の聾唖学校で彼女は寮で集団のいじめにあう。
修道女はお風呂に入れて髪をとかすまでが大変だ。
暴れる。
奇声を上げる。
打つ、殴る、ける。
コミュニケーションが取れないということは人間らしく生きるのに致命的なのだ。
☆マリグリットと少女は格闘をする。とにかく逃げ出すのだ。
修道女が捕まえようとして池に落ちたり、木に登っている少女を下ろそうとして木から落
少女は目も見えないが、耳も聴こえないが、自然を感じる力が非凡である。
水を触り弾ませる歓び。
それを、マルグリットは見逃さない。
抱いて、顔をよせ、「ウイ。それでいいの。あっているわ。」と伝える。
私は眼鏡を忘れてきたが、前のほうの席だったのとフランス語が初歩レベルで理解できて、マ
☆目の見えない少女にフォークやスプーンやナイフで食事することを教える。
実に忍耐強く。
周りも呆れるほどしつこく。
然し、彼女は自分の大好きなナイフをやがて覚える。
ナイフはクトーだが、手話でナイフを両方の人差指で重ねこすり合わせることがわかると、
このシーンは、私が最も感激したシーンである。
☆その前にブランコに乗るシーンがある。
マルグリットは後ろから押して、少女はスイングの楽しみを覚える。
風を切り、空気が自然の緑の香りを感じさせてさわやかで気持ちがよさそうだ。
待っている子供たちが交替してという。
マルグリットは少女に降りるように促すが嫌だという。
少女は押してくれないので、自分で後ろに下がって歩き弾みをつけてブランコをこがすの
☆少女は頭脳は問題なかったのだ。
待っていた女の子たちもマルグリットも驚き、賛美をし感嘆する!
☆少女はリンゴやブドウから、簡単な文法やアルファベットまで覚える。
ある日、少女の両親が訪ねてくる。少女は自分でアルファベットのブロックをつなぎ、m
そして、両親に普通のあいさつをも手話でする。
☆雪を感じる少女の姿の美しさ。
少女はシスターたちの顔に触れてそれぞれを確認したように、両親に触って確認する。
親子の打ち解けた雰囲気に安心して庭に出たマルグリットは雪の中倒れる。
命に危険がある病で少女に秘密で病院に行くのだ。
マルグリットがいなければ少女は元の暴れ者の獣のようになる。
食事もしない。
☆マリグレットは、どうせ死ぬならと、帰る決意をする。
マルグリットはマリアに死の概念を教えようとする。それは近い未来にマルグリットが死
☆死んだ老齢の修道女の遺体に触らせる。
息をしていないのを確認させる。
冷たい遺体。
神様がだけが知る死の時期。
そういう、抽象的なことを手話で教えるのだ。
☆最後のシーンは泣いてしまった。
少女、マリーはかつてマルグリットに連れていかれた修道院内のお墓、十字架に花束を持
少女は虚空を観て、手話で語る。
あなたのように、三重苦の新しい学校の生徒を、あなたが私にしたように私が彼女にしま
花束はハーブのように素朴でで可憐なもので、木の十字架も質素なものだ。
水色の聾唖学校の制服。
ポニーテイルにしたすっぴんの女の子。
虚空を観て語る。手話で語る少女は聖女そのものだ。
実際の彼女は36歳で亡くなった。
マルグリットは謙遜な人で短い文章を残しただけで、あまりにも資料がない。
☆やはり、泣いてしまった。
あの時に、精神病院に連れていかれたら、何も学ばなかっただろう。
神様はマリーを見離さなかった。
それぞれのベストを尽くして天に帰る。
プログラムを買ったので、このマリーを演じた少女が実に利発なのに驚いた。
耳の聞こえない彼女は目も見えなかったマリーがそれを補うべく自然を体感する力にたけ
実際のマリーは編み物をできたという。
映画の中のマルグリットの介抱をするマリーは健常者でもできないぐらいの注意力で、マ
見えない目でいながら、お盆にスープや水を乗せてマルグリットの口にスープを息で冷ま
マルグリットもマリーの成長に安心して死ねただろう。
☆プログラムにも私が感じたのと同じことが書かれていた。
母子の物語だと。
例えば、年ごろになれば家事など教えるものだ。
また、生きるのに必要な力。
どの母親も、生まれた時から精一杯の力で、子供に教え込んだものだ。
ひらがなを教え、算数を教え、小学校くらいまでは、母親が作文なども見てやったりで、も
この間、部屋の片づけものをしていて、娘の漢字ノートや大きくなってからの漢文ノート
もっと、かまってやるべきだったとも思うほどだ。
☆どんな人間でも特有の障害をもっていて、そこから痛みや謙遜を学ぶというのが私の考
☆マルグリットは修道院長の無理だという考えに従順でいなくてはならないところだあっ
私たちはやはり、与えられたものに最高善をなすべきなのだ。
明日は娘を連れて、池袋のアートオリンピアと御徒町にいくつもりだ。
とにかく、絵を描きなさいと勧めているのだ。
中学の夏にパークスクールのサマースクールで絵を取った時も、校長先生が気に入って「絵
ヴェネチアのビエンナーレも一緒に観に行ったしね。
おまけに語学ができるから国際アートの舞台で全くハンディがないのだ。
☆そういえば、高校受験の時に娘のアートの推薦文を書いてくれた中学の絵の教師が、「彼
ステージママもいいかもね。(くすん)