Ruiico (ruiico) wrote,
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東京も雨。東京の家の中のものの梱包!

要らないものは捨て。

つかえそうなものは、一つづつ洗って乾かし拭く。

家が建って27年くらい。

娘は実質10年くらい住み。

私は、20年くらいで、主人は22年、姑は24年、舅は4年くらい(亡くなった)か。

結婚した時は、大姑が住んでいて、子供のころから知っているスベイン風の西洋館だった。

舅と姑と大姑と主人が住んでいて、すきま風が入る古い家なので、私たち夫婦は近くのマンションに住んだのだ。

大姑が96歳で、亡くなり家を建てて同居した。



☆私は34歳だったし、パリに2年近く住み、帰国後ボランティアしていたのだか、疲れて果てて「そろそろ、結婚でもするか?」と思ってはいたものの、同級生たち(私の祖母の葬儀で25年ぶりにであった小学校同級生の母親が、私の父の弟の仲人をした)から嵌められた(同級生たちが互いに嘘をついて会いたがっているといった)出会いだが、私の家より格が高いので、幾度も断った。

両親も「家事ができないし、絵だけ描かせてきたので、常識もないし、おすすめできましせん。身分も違いますし。私どもは商人ですから。」畏れ多く、ご辞退した。

そのせいかどうか、家に関しては主人の家は土地も建物も全部出資してくれた。

私の父は、先方から言われれば(建築費用を半分出してくださいと)、半分出す気でいて、こちらから言い出すのは失礼たから、我慢すると言っていた。

とうとう、家が建つまでの5年近くのマンション暮らしの家賃代も請求されることなく、父はお金にきれいだと感心していた。

☆それで、同居の二世帯住宅が建ったときに、カーテンや家具を実家が買ってくれたり、ピアノ、お雛様や七五三や成人式の着物も買ってくれた。

私は舅姑との同居は嫌ではなかった。

階層的に、私の家の庶民性にも寛容だったし、子供のころから知っているので、手作りチョコレートケーキが誕生会ででてきたりで、悪い想い出がなかったのだ。

私の家になかったものを教えていただければいいし、同居は嫌と言う発想はなかった。

姑は英語の教師として働いていたし、私も絵を続けることを結婚の条件のひとつにしたので、応援してくれた。

「息子のことは放っておいていいのよ!絵を頑張ってね!」と言われた。

他に大姑が易の達人だったので、易の道具を形見にいただき、姑は「私はあなたを助ける☆なのよ。」と、占いで出ていると言った。

大姑はとても華奢で96歳で亡くなる日まで杖をついて歩いていた。お手伝いさんが3人いて、着物を脱いだらお手伝いさんが後ろから畳んで片付けた。家事などしたこともない。

とてもきれいな人で、(大原麗子さんにそっくりとか)お風呂でも体を洗うタオルが各部によって違い、70歳でパリにいったり、車の免許も若いときにとってヒルマンに乗っていたとか。

ある日、天を仰ぐと七色にたなびく雲に、お釈迦様がお弟子達を連れておられるのが見えた。お釈迦様が下界をご覧になると、「もうだめだ。」というように、手を振られ雲より降りられると、関東大震災が勃発したという。


☆そんなわけで大姑の目の黒いうちは家の建て替えられなかった家の新築をしたわけであった。

娘のアメリカ12年、フランス10ケ月の荷物が全部あり、姑の代々の持ち物かあり、私の絵もあり、大変なことになっているのだ。

☆同居と言うものは、実際にしてみると、子供の学校から、私のお稽古に至るまで干渉され、でかけける前には、服装なども上から下まで無言のチェックがはいり、それなりに大変である。

☆アメリカに行くまでは、週に3度お手伝いさんが来てくれ、二人て家中掃除をした。それは、小学校受験などもしたので、実家が費用を出してくれた。

二世帯住宅であるが、姑が鍵を持っているので、入り込んでくる日常だったので、部屋をきれいにいつでもしてなくてはならなかったからである。

☆お稽古も「上智大学の修道会の女子寮で子供をシスターがみてくれ、その間、語学を教えてくれるのがあるそうですが、行っても良いですか?
」と許可を取ってから、行くのである。

☆修道会だと思って結婚したので、院長様のご主旨を仰ぐというわけ。
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