Ruiico (ruiico) wrote,
Ruiico
ruiico

雨から晴れ!

少しは咳き込みが楽になったような!

☆佐野研二郎さんの記事が多いので、多摩美や博報堂の思い出を!

秋には68歳になる私の22.3歳の頃のはなし!

☆自由が丘にあった武蔵野館という映画館のとなりに、ジャズ喫茶がありました!

武蔵野館の社長のお妾さんが、経営していて、社長がなくなったときに相続で貰ったとのことでした。

加賀まりこさんに似て、社長の秘書をしていたそうで、着物を着ても洋服を着ても可愛らしく、趣味もよく、着物は室町時代風に着てました。

 38歳で、7歳下のエリートサラリーマンと結婚して倉敷に嫁ぎましたか、お豆腐屋さんだった彼のお父さんが結婚に反対していたが、あったとき、あんたがいい人だからと認めてくれたとしあわせそうに言ってました。

そのお店でアルバイトしていたのです。
3か月くらい?

そこで、ナポリタンやミートソースのスパゲッティを習ったのでした。

そこが、多摩美生の溜まり場だったのでした。

とにかく、ママの魅力で持っているお店なので、カウンターの中で、皿を洗ったりと料理を作ったりで、ジャズ音楽しか記憶ないのですか、多摩美生はお坊ちゃんでおっとりしてるイメージ。

自分はグラフィックデザインを出たせいか、多摩美はデザイン科がいいというのは、聞こえてました。

武蔵野美術は野人と言うか、なんとなくですが、油絵がいいときいてました。

学生時代は、円谷プロでバイトしたことかあったのですが、ウルトラマンの小道具で、正24面体のフーラーの地球儀を作ってました。

その時は、シンナーや塗料の臭いが作業場にたちこめていたのですが、アルバイトしている人は武蔵美のかたでした。

何も語らなかったですが、鋭い視線で大きな夢のために頑張っているというのがよく伝わったものです。




☆当時は、田園調布に自宅があることは隠して、自由が丘に住んでいると言ってました。

 しかし、自宅に同じ苗字で(東京に4件くらいしかない名なんです)1丁目違いに、全く同じ年齢の女子の美大生がいて、電話も郵便物もよく間違ってあったものです。その方が多摩美の方で、速達等誤配されると互いに家まで届けたものです。

 ですから、家は存じ上げてるんですが、ご本人には、とうとう、お会いする機会はなかったです。

 電話も「先日の作品はすばらしかったですね。」等、言われ話している内あちらのかだとわかり、「電話番号違いです。」と、笑い話になることがしょっちゅう。

 先方は大学教授のおうちで、プロとしてご活躍のようです。

 多摩美の私たちのイメージは、裕福ないえの子弟が好きなことをやらせるために選ぶ学校で、特別ハングリーでない家は、女の子は特に親が援助できる習い事の専門教育のイメージ。

 私の両親は共学はだめという考えでしたが、大学でデザインを学んだのは本当に良かったです。

 手が動くんですよ。

 体も動くし、口もたつ。

 それと、佐野研二郎さんのように、プレゼンしたり、仕事で色々な能力(パクリ以外の)が要求されるので、毎日、楽しい!

 営業やパーティー接客など、洗練が要求され、始めから洋画や日本画や彫刻を出ていたら、生きるのが大変なのよくわかります!

☆博報堂は、あるときに学生サークルで知りあった日大のデザイン科出身の男性が博報堂の上司2人と田園調布のロータリーのバーで飲んでいるので出てきてほしいと電話があったのでした。

 私はそのgさんが嫌いだったので、誤解されてはいけないので、なるべく汚くして出ていきました。

 だからかもしれませんが、博報堂にリスペクトが足りないという抗議か、初めてあった二人の上司に苛めぬかれました。

 わざわざ出てきてくれてありが等という挨拶もなかったので、それを決起にg君とも絶縁できて安堵でした。

 博報堂なら、喜んで尾を振って出てくるという奢りがあったのかは知りませんが、人格を感じられない人びとでした。

 佐野研二郎さんの醸し出す雰囲気と似てます!
Subscribe
  • Post a new comment

    Error

    default userpic
    When you submit the form an invisible reCAPTCHA check will be performed.
    You must follow the Privacy Policy and Google Terms of use.
  • 0 comments