Ruiico (ruiico) wrote,
Ruiico
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人が闇に人を葬る感情!

no title 人間心理について。

☆1歳半の時、娘が主人の弟に怖いことをされて、かってない泣きかたをした。

 私は姑の家で玄関でお客様の靴を並べかえていて、娘のいた席をはずしていたのであった。

 母親なら誰でもわかる悲しい尋常ではない鳴き声は、とてつもない怖いことが起きたことをしらせたのだ。

 4月生まれの子供の1歳の12月。
 
 私は常に同情的だが、年上でも話せない歩けない子供を持つ親にとって、年下でありながら、女の子特有のおしゃべりで、かわいい盛りの動きが、どうにも憎い気持ちはわからないではない。

 その前にも、その子供の親は、夫婦で私達の住むマンションに嫌がらせに来たり、言いたい放題で、多少でも年上の私達はその心情を察し、沈黙で耐えてきたのだ。

 だが、1歳8ヵ月の子供に、あの人達の前では、黙り、歩かないでいなさいとは言えない。

 だから、目の前から消えるしかないと思ったのだ。

☆私はパリのアパートを決め、私の個展をすると言う我が儘な嫁を演じて、4月の娘の誕生日前に日本を出た。

 主人には子供を守るためと言い、賛同してもらった。

 姑は激しい怒りで、「逃げたわね。」と言った。

 私は障害児は嫌いでないのだ。彼がきて、散歩を家族でするときに、姑はその男の子を自分の手から放ち私の手に、繋がせた。

 自分が嫌なので、人も嫌なのだと思うのだ。

 私は児童福祉施設でボランティアで子供を幼稚園に連れてったが、その子供は耳が父親に傷つけられて欠損していた。

 主人が、姑に、本当のこと(嫉妬のため幼い子供への危害から守り、双方の家族の悲劇を防ぐため)を話したときに、姑は謝ってきた。

「こんな家によく来てくださいました。」

☆私が個展を終え、無事に日本に帰ってきた時には、義理の弟妻は妊娠し、希望が生まれていた。

 姑は皆が受験で一生懸命なのにあなたはのんびりしすぎだと言った。自分の下級生の経営する幼稚園に行くよう命令した。

 4年保育で、娘はまだ2歳だった。

 1年半ほど通った時に、私は鈍感な私を一生責めるが、ある男の子がいて乱暴なあまり、皆、2年保育や3年保育の幼稚園にわざわざ受験して移っていたことに女児と言うことで、接触がなかったので気がつかなかったのだった。

 やがて、男の子が他校に移っていたので、女児に手を出すようになった。

 首をしめ、ブリキの玩具で頭を力一杯殴り付け、お弁当にお茶をかけ食べれなくした。

 娘の話では、男の子は手を繋がれ日本間に放置されていたと言う。

 娘はその男の子供が暴力を振るうから、幼稚園に行きたくないと言った。

 その子供は噛む子供でもあって、ある時迎えに来た10人ほどの母親を前に、「ライオンさんに背中を噛まれて背中に傷のあるお子さんがいますが、消毒しておきましたから、心配なく。」と言った。

 お迎えの時に、娘にいつものように後ろから殴り付けているその男の子供に、「女の子に暴力を振るうのやめようね。」と、注意したところ、3時間にわたって、その母親から、電話が掛かってきた。

 「大衆の面前で私の息子に恥をかかせた!」

 と言うのである。
 そして、「私は息子が皆から乱暴だと思われて、あなたのような綺麗な洋服がきれない。

 と言うのである。

 私はその父兄の中でもっとも年長だったと思う。

 インターナショナル聖心に友人の子供がいて、楽しいバザーがあると、誰でも同じようにバザーに誘い意地悪の欠片もしなかった人なのだ。

 第一、ベンツとBMWか並ぶお迎えのなかで、私は唯一もっとも安い徒歩で通う母子であり、モデル体型の若いママ達の間にアラ40のもっとも醜い母親だったと思うし、着ているものなんか安物でしたよ。

 私はあまりの低次元の言動にショックを受けて歩けなくなったのだ。

 それは、およそ3年くらい続いた。

☆園長先生は「誰にもやるんですから。黙って辞める人もいる。」
「男の子の未来のために黙っていたほうがいい。」

 と、自分の教育が行き届かなかった責任を問うことも謝罪もなく、また、男の子供の母親は、「やめなくていいですか?」と、それしか発言がない。

 愛育病院の幼稚園園長に間接的に相談したら、「そんな園長はやめさせるべきだ。」とあった。

 娘はmaria´s babyと言う英語学校に週に2度通っていて、その場が愛育病院のなかであったのだ。それで、先生に相談できたわけ。

 とにかく、歩けなくなった私は幼稚園の送り迎えができないので辞めた。6月のことである。

 「幼稚園に毎日いて、子供を見張ってろ。」と言ったのも園長だった。

 それで、教育ですか?

☆問題は、それからだ。
やがて、眞子さまや佳子さまが入ってくるこの無認可の1学年10人ほどの幼稚園では、なんとも、この事実を消さなければならない。

 男の子供には、問題ない。
 辞めた女の子供が、幼稚園に通えないほど、能力が低く弱い子供に仕立てあげなければならなかったのだ。

☆私は青山の「子供の城」で、その男の子供と父親を観たことがある。

 娘もいたが、背中で隠して見られないようにした。

 お昼を食べている短い間に、見ず知らずの3歳の子供をやはり、その男の子供は通りすがり頭をひっぱ叩いていた。

☆私の友人の東大医学部の特認助教授の河原ノリエも、私の娘が辞めた後で、その幼稚園には入り、弟の方が目に指を突っ込まれたそうだ。

 母親たちはあの男の子が私学受験をするそうだが、あの子供を入学させる私学があったら、見識を疑うとまでいっていたと言う。

☆私の家は大姑が亡くなり、二世帯住居を新築することになり、半年、幼稚園は行かず、次の4月から主人の出た教会付属の2年保育に入った。

 娘は幼稚園には行きすぎなのだ。
パリでも半年ほど16区のビクトリユーゴー通りの幼稚園に通っていたのだ。

 姑が強制しなければ4年保育の幼稚園には決して行かなかった!

 私は世間の馬鹿馬鹿しい風評(幼稚園を途ちゅでやめた)と7キロもやせ、3階のマンションから階段だけだったので降りられず、寝たきりの生活が始まった。

私の実家では私はこのまま死んでしまうと思っていた。

 娘の幼稚園な朝は主人が、帰りは私の実家の母が迎えにいった。

 新しい幼稚園でも、娘に非がなくても、幼稚園を途中で辞めたと言う偏見がつきまとった。

 私の友人でも、幼稚園を途中で辞めた弱虫と娘をなじる母親までいた。

 どういうわけか、教会の神父の園長は、「あなたのお嬢さんは強いね。」と言った。

 私の子供はとてつもない大きな使命をもって生まれて来た子供で、親から見れば残酷なほどの体験をしている。

 パリのルクセンブルク公園で2歳だった娘が、中学生まで自由に遊べるスペースで遊んでいた時に、フランス人の老人が来て言った。

「あの女の子はあなた達の子か?」
夏休みで主人が来ていたのだ。

「私は朝から、ここで、子供たちを観ていた。
 あなた達の子供が一番インテリジェンスがある。」

 と言ったのだった。

 それは奇妙なことに思われた。
まだ、2歳で言葉もフランス語を話せるわけではない。

 しかし、

 あの時間帯は何だったのだろう?

 不思議だ。

 カフェで娘とお茶をしていると、見事に洗練されたろうカップルが、娘に恭しく挨拶して去っていくのだ。

 アジアの名もない普通の子供なのに。

☆つまり、瀕死な母親が家で寝ていた時に、娘は娘で闘っていたのだった。

 車の後部席から転がされ、地面に落とされたり(死にますよ!)、後ろから首をしめられたり(視ていたお稽古の先生が教えてくれた。)、子供の世界に殺人行為があり、本能的に自分より幸福そうと言うのが、動機と思われる。

☆多くの人が、娘が潰れ負け犬、敗北者となることを望んでいたが、そうはならなかった。

 後ろめたいのか、私が街で男の子の母親と偶然あうと、こそこそと逃げていった。

 そのくらい陰で、私たち母子の死を願って工作があった。

 しかし、

 いじめっこ心理が働いていた以上に神の正義が働いていたのだ。

 娘は半年の受験勉強で無事に当時は15倍近かった名門小学校に受かった。

辞めた4年保育の幼稚園の園長から電話が掛かってきた。

 「どちらへ?」

 いくつかの学校名をあげたが、最後にこちらから、言うと、黙った。

 学校名等どこでもいいと思っている私だが、信じている人もいる。

 その前の最後の学校別模擬では1番。

 堂々と受かったのだ。

☆神がいると思うのは、園長の聖心の同級生がいて、ガールスカウトで一緒になる母親の一人が、娘より1年上の子供がいて、話したこともない人だったが、園長からの食事の誘いに、「あなた、るいこさんのお子さんに酷いことしたわね。あなたが、そのお子さんに謝らないうちは、あなたとは食事をしない!」と、娘が小学2年頃に言ってきたそうである。 

 それで、私の友人の河原ノリエの子も同じ幼稚園だったので、ママが迎えに来てくれ、望むように園長の家にお菓子をもっていったのだ。

「あなた、私を覚えている?」
と園長先生は4年ぶりにあった娘に言った。

「いいえ。」
娘は答えた。

 家に帰ってきて、「本当は覚えていたけれどね。」と言った。

 園長先生は謝ったのだろう。

 友達の同級生と食事ができるようになっただろう。

☆あの男の子は、娘が幼稚園を辞めた夏に、自分の家のトイレに暴れて落ちて、複雑骨折をした。

 小学4年生の時に、父親が池に釣りに行きそのまま帰ってこなかった。

 その男の子のために娘が辞めたあとに、幼稚園を2人転園し、公立の小学校から2人の女の子が私立に編入試験を受け、転校した。

 私達、母と子供の2度めの闘いは地獄の5年を経て、神の正義が働いたのであった。
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