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嘘は罪。


私は今日の「しくじり先生」で、TMNのギタリストが、実はギターが弾けなかったで、ファンに嘘をついて罪悪感に苛まれ、苦しんできた真摯な告白を聞いた。

「嘘は罪」と言う若いときに聞いた音楽を思い出した。

インターネットで調べたら、何人もの歌手が歌っていて、すぐ、その歌を聴くことができた。

甘い美しいメロディー。

 It's sin, tell a  lie ...

   と自由が丘のジェリコと言うアメリカ人の女性歌手の経営するスナックで流れていた音楽だ。

もうひとつ、覚えているのはモナリザ。

私の版画を沢山買ってくれたお客さんが連れていったお店だ。

☆人間は誰でも一日に幾十回も嘘をつくのだそうだ。

細やかな他愛ない虚栄心のなせる嘘。

劣等感を癒す嘘。

誰かを救う嘘。

多分、許される嘘もあるだろう。

☆その店に出入りしていた1973年頃。

私は23.4歳だったが、40代50代の大人がつく嘘にたいそう驚かされたものだった。

人間が人を陥れるためにつく嘘。

他人が若者をタダ働きさせるためにつく嘘。

学歴や住まいをよく見せるためにつく嘘に、私は世間を知ったのかも知れなかった。

☆しかし、嘘はばれるのでもあった。

私は個人を突き止めずにいられないほど、他人に関わる時間がなかった、若い貧しい絵かきだった。

しかし、大のおとなの40代や50代の男女が私の母親にまで嘘の電話をかけてきて、陥れるので、警察に住所を調べてもらい本人に直接、どうしてそういうことをするのか訊きだしたことがあった。

酔っていただけだと言うのが答えだった。

あとで、そのスナックのボーイがあまりにもひどいので、張り倒してやったと言っていた。

☆私はかなり寛容な人間であると思う。

アメリカで売ってきた3年くらい乗ったワーゲン ゴルフも、日本食品のスーパーにチラシを貼って売って帰国しようとしたときも、「どうしても売ってほしい。」と、従業員の人がチラシを貼る前に、哀願してきたのでローンで売ったが、50分の1の支払いもしなかった。
もう、15年も前のことだ。

借用書は書いてくれたが、2度ほど請求しただけで、その後はそのまま。

別に日本食品スーパーのオーナーにチクったりもしない。

今日の「しくじり先生」の間寛平は、先輩の借金にお金を貸し、連帯保証人の判を押して、その利子で、たちまち5000万近くになり、それを返すために打ったキャラクターグッズでさらに増え1億の借金を作ることになった。

まだ、20代の時の話で21年かかって返せたと言う。

お笑い芸人の人よしのキャラクター、世間知らずを利用してキャラクターを作った業者も詐欺的にふっかけたのだそうだ。

その時の奥さんが立派で3歳の娘を連れて、お尻をつねって泣かし、利子なく借金できるよう同情を曳かせたという。

間寛平は船にのっているとき、3歳の娘を海に投げ、自分も身投げをしようとしたとき、娘が手をぎゅっと握り我に返り、しっかり返そうと決意したそうだ。

それから、マラソンで走る能力を発見したり、明石家さんまに助けられ、仕事で道が開け、神に幾度も祈り、神は本当にいると思ったのだそうだ。

間寛平は自分を借金地獄に追いやった先輩の名前を口にしたことはなかったそうだ。

インターネットで検索すると、その先輩は他にも借金を重ね、行方不明になり、既に故人となっているようだ。

やはり、神様はいるのだ。

妻に連帯保証人の判を押すときも、キャラクターグッズを作るときも相談しなかった反省もしていた。

借金とりはとても家族も脅かしたのだそうだ。

☆私も娘も、今日のテレビは面白いと食い入るように観た。

私も世間し知らずと、キリストの教えの実践によって、数えきれないくらい騙され、お金を盗られたり、タダ働きさせられてきたが、妙なことを言うと思われるだろうけれど、それで、自分のアート能力や生きる力が養われた気がするのだ。

嫌味でなく、大学時代毎日たかってくれた人のお陰で下積みの人の蔭労働のわかるバイトができたし、生きる傷みを学んだと思うのだ。

感謝したいくらい。

集ってくれてありがとうと。

☆しかし、同級生からいつもむさぼっていた人はどうなったのか?

既に故人になった人も多い。

☆間寛平さんの借金は1円も自分を利するためのものはなかった。

彼はそれでも働いて返した。

立派である。

その心根が無限に芸を広め高めたのだ。

その力を神が与えたと言うことだ。

☆私は間寛平さんより立派ではないが、やはり、神の力は信じているのだ。

今日は娘と両親のお墓参りに行ったが、心がスッとした。

親鸞聖人の像が建っている、

北斎の画にも描かれた東本願寺だ。

ほんの何ヵ月が浅草にも住んでいた。

どの辺だったのだろう。

向かえが鰻屋で、一人で道を渡った記憶や玩具の電話と一緒に二階の階段から落ちたのも覚えているのだが。

娘とホテルのレストランで観たスカイツリーも駿河銀行のオブジェも雷門も、日本の風景。

地下鉄で帰って、五反田駅で貰ったタウン誌に日比野克彦が出ていて、ホテルのアートとシンクロしていた。

家に帰って「私生児」の続きを読んでいると、作者のヴィオレットの誕生日が4月7日だった。

ダンテが1300年4月7日から地獄巡りを始めた日だ。

神の仕事はなかなか楽しい!

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