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箱根「ガラス美術館」へ!

ガラス美術館の真向かえは、俵石という名のようだ。

高校の時の夏休み2年間は、いつも、私の家では、「俵石閣」と言う旅館に家族中でひと夏いた。

父は、N弁護士と異常とも言えるほど仲良しで、私のコテージもNさんが分譲販売を手伝っていて、父がお付き合いで買ったものだが、毎日、家に現れ碁を打っていた。

仕事でも、父の会社の顧問弁護士だったが、それだけでなく、テニス、ゴルフ、ギャンブルと常に一緒で、夏休みの俵石閣もNさんの付き合いで、互いに離れを借りて毎日、ゴルフに一緒に出掛けていくのだった。

 Nさんは背が高く外人のようで、長崎県生まれなので、どこかで白人の血が流れたのであろうと家では、言っていた。

洒落もので、当日、銀座にあったケテルスと言うドイツ菓子のホールのケーキをクリスマスに持ってきてくれたりで、子供としては、何となく贅沢を運んでくれた人で、人当たりもいいので嫌いではなかった。

 Nさんは婿養子で自分の家には居場所がなかったのかもしれないが、私の母親もNさんの奥さんも強度なヒステリーで、その理由は浮気だったのだと思う。

 Nさんはゴルフのキャディさんも、売店の売り子さんも、「お嬢さん。お嬢さん。」と、言う人で、隣で美しい奥さんは口を曲げて嘲っていた。

愛人と一緒になりたいので別れたいと言ったときに、奥さんの父親は子供ができるから、我慢してほしいと、漸く女の子が生まれ、凄まじい夫婦喧嘩がどこでも繰り広げられたが、離婚はしなかった。



 何事も頑張る奥さんは、プロのピアニストにさせるために、常に狂気だった。

 箱根の俵石閣にいる間も、娘が西瓜の汁で洋服を汚したと言っては、ひっぱたき、私達のような極平凡な家のものは、ただただ、英才教育をする特別な階層と言うイメージだった。

 奥さんの熱意は裏切られることなく、私達素人でもわかる有名音楽家に土地つきピアノつき別荘ごとプレゼントしたり、師事したり、ヘェーと言う間に、芸大付属も芸大も受かり、イタリア留学でも首席だったが、この間、神山で偶然あったら、ピアノはもう弾かないと言うので、そんなものなのと思えた。

 Nさんは、中村紘子のまねをしたのだとおもうけれど、銀座に画廊まで開いたが、50歳にならない前に癌で亡くなった。

 父は画廊を作るときは誘われたが、素人がするものではないと断った。

 やりかけの画廊は莫大な借金を残して閉鎖した。

 92歳で亡くなった父は、その後はその家と特別縁はなかったが、私は、お嬢さんのコンサートに幾度か行った。

 私の家では、まるで反対で子供のやることに親が口を出すと言うことはなかった。

 そうだ。
 私の京橋の1972年のプリントアートギャラリーの個展にNさんは現れたのだ。

 Nさんは英字新聞に記載された記事を見て、ちょっとNさんらしくない、嫉妬の顔をした。

 私は芸大を受けてもいないし、親がかりでなく、身の丈に応じた版画で個展をしたような画家で、有名人に寄っていくと言う感覚はまるでなかったので、Nさんは驚いたようだ。

 68歳の今でも、一応続けているし。

 そういえば、お嬢さんの息子は、Nさんの孫だが、「ピアノは目が見えないとか、美人とかでないとなかなか有名になれないとママが言っていた。」と、言うようなことを言っていた。

 あの狂気だった熱意と莫大な投資はなんだったのだろう?

☆ガラス美術館の前の俵石閣はもうない。

有名な建築家の自宅だったのだそうだ。

それを移築して、箱根で旅館になった。

天皇が皇太子のころ、お泊まりになったとか!

そんなに有難いところとは知らなかった。
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