18歳になるまで原爆で親を失った子供達に月1000円を送り文通し精神母親となり励ましつづけた。
当時の1000円は今の10000円くらいで、負担の多い大学生は3人で一人の少年の
山口勇子さんは、自分もご主人の両親も原爆で亡くし、3人の子の母親でもあった。







著書 おこり地蔵
荒れ地のばら
等
18歳になるまで原爆で親を失った子供達に月1000円を送り文通し精神母親となり励ましつづけた。
当時の1000円は今の10000円くらいで、負担の多い大学生は3人で一人の少年の
山口勇子さんは、自分もご主人の両親も原爆で亡くし、3人の子の母親でもあった。