Ruiico (ruiico) wrote,
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身銭を切る!

考えてみた。



☆例えば、聖書の教えでは、返す能力のない人にお金を使いなさいとある。

 それは、報われないから美しいのだ。

☆身銭を切らない人は枡添知事だけでない。

 大学の同級生Aは最後の1回以外は、学校のあるときはほぼ毎日、私がお茶代を支払っていた。

 学生食堂ですから、レモンティー30円でしたけれど、ある日、熱い淹れたばかりの紅茶が零れ、私のスカートにかかった。

 その時、「熱かったでしょう?ごめんなさい。」と、言う代わりに、彼女が言ったのは、
「紅茶がもったえない!」と、うろたえる声だった。

 支払っているのは私です。

 箱根の父の母にあうためにあるマンションに行きたいと言うので招待した。

 妹も連れてきて、持ってきたのは自分と妹の食べるインスタントラーメンだった。

 私が卒業の日まで、支払い続けたのは彼女がお金の損得から解放されてもらいたかったからだが、そうはならなかった。

 Aから、いじめも中傷もあったが、態度は変えず親切の限りを努めた。

 そうだ。公金を横領しようと言ってきた彼女だ。

 卒業以来付き合いはないが、「友達は大事じゃない?」と、寄ってきたりする。

 罪悪感とかはないらしい。

☆全米個人資産No.1と言う家族のおばあちゃまに、どういうわけか気に入られて、ご家族と京都旅行。

 あちらはスウィート。私は自腹で並みシングル。懐石料理を習っていた時なので、私は夕飯?の時に懐石を注文しました!彼女の注文より高かったので、私は自分の分を支払いました。

 「勉強中なので、懐石頼んだの。」

 相手が大金持ちだからって、たかるの嫌ですよ。

 それで、おばあちゃまは、私が自分たちに近いお金持ちと思われたようで、私は幾度も、

「私は、あなた達のようにお金持ちではないのよ。」
 と、言いました。

 すると、
「嘘おっしゃい!」

 と、私の右手を軽く叩くのです!

 おばあちゃまのお嬢様が、障害者のための音楽学校を創立し、チャリティーのパーティがあり、オークションがあるので陶芸作品を寄贈したのでした。

 彼は日本人の40代のSMFAの先輩なのですが、家賃が払えないから買ってくれと、陶芸クラスの日本人にお声がかかり、1200ドルのを半額で良いからと言われ、購入したのでした。

 それは、SMFAの案内パンフレットに写真が出た良い作品でしたが、フラジル過ぎて日本には持ち帰れない壺なので、寄付を決め車で手運びしておばあちゃまの邸宅に、運んだのでした。

 それが、理由か1000ドルのチャリティーパーティの招待券が贈られてきたのです。

 おばあちゃまに恥をかかせてはいけないので、コートも持ってこなかったので、ニューヨークまで買いに行き、グッチで買ったり、靴やアクセまで揃え、美容院に行きましたが、実はかなり貧乏でパーティの帰りはタクシーでなく、地下鉄で帰ったのを覚えてます。

 自分のお財布ですが、おばあちゃまから電話で、「来て!」と言われると、島の別荘までよく訪ねましたが、私は一ツ星の日本人の経営するインに泊まりましたが、恥ずかしいとは思わなかったです。

 ない袖は振れないと言うこともありましたが、質素で倹約なのは、キリスト教からきているのかもしれません。

 枡添知事とは反対の考えです。

☆23.4歳の頃、筆頭宮妃が婚約の時、着ていた衣服のブティックでアルバイトをしたことがありました。

 バーゲンの手伝いで自由が丘店開店3年間で最高の売り上げを出したので、次のバーゲンの時に、また、「手伝って!」と電話がかかったのです。

 それで、また、大変良く働いたので会社が特別ボーナスを弾んだのですが、アルバイトの私には関係なく私はもらわなかったのでしたが、どういうわけか、10人の私と同じ年齢の正規の従業員が私を囲んで1週間ばかりのアルバイト料を取り上げたことがありました。

 私はただ唖然!

 一番美しい従業員の人が一人うつ向いて、恥ずかしそうにしてました。

 一人に十人ですから、抗うことはできません。

 チラシを配ったり、嫌な仕事をさせる故意な意地悪を感じてましたが、私は働くと言うことはそういうことだと思ったので、嫌な顔をせず、命じられたことは何でもしました。

 また、紺色の制服を着ていた従業員たちより、けっして上等な格好はしてなかったのです。

 私は店長に密告もせず、会社にも世間にも訴えず、自分の本業に戻りました。

 そうですね。2度と、バーゲンの手伝いの電話はかかりませんでした。

 その件につき、悲しいとも悔しいとも怒りもないです。

 私はその時、お金がほしくて働いたのか?

 いいえ。

 バーゲンで忙しく人手が足りないから、手伝ってと頼まれたから、手伝ったのです。

 それなら、無料でもいいじゃないか?

 そう、思えました。

 でも、時々、あの私と同じ年齢の9人の従業員たちは、その後、どう思ったのかしら?

 と考えることがありました。

 上手くやった!得したと思ったのかしら?

 あんなこと、しなければ良かったと思ったのかしら?

 その時、「おみくじ版画」を作っていた頃で、田園調布の茜屋と言う民芸品屋で扱ってもらっていた時で、お店の経営者の奥さんが私のアルバイト風景を見学に来てくれたのを思い出しました。

 「流異ちゃん、かっこ良くキビキビと働いてたわよ!素敵でした!」

 私の「おみくじ版画」は、自由が丘画廊のオークションで50円から始まり、経営者が、「池田満寿夫だって、10円から始まったんだぞ!」と、言うので、「原価130円するんです!」と、答えたら、コレクターのおじさん達が、正直ぶりに、皆で拍手。

 それから、どんどん値が勝手に上がり、たくさん買っていただけました。

 それで、茜屋で経営者夫人が、「流異ちゃん、黙ってそこに座ってなさい!」と、言ったら、客が入ってきて額入りで1万円で売れました!

 1971年の大学出たての頃のことです。

 こんな風に働きながら、絵を描いていたのですが、自分の中で、不当に取り上げられたお金やエネルギーは、自分の本業の幸運となって、返るってくるというバランスがはっきりとわかるので、不満はなかったのでした。

☆両親も卒業後1円もくれませんでしたから、知恵と工夫で、本は沼部の図書館、それも2駅歩いて節約しながら、貧しく生きてました。

 時はバブルのただ中。

 自分の制作費にスポンサーをつけようとは思いませんでした。

 身銭を払ってました。

☆私は枡添知事より1歳上の68歳で、ほぼ同時代を生きてきましたが、もちろん、頭脳は枡添知事の方が雲泥の差でいいのですが、他人のお金で贅沢しようとは思わなかったです。

 異性でも、殆ど割り勘か、こちらが出す方です。

 食費を出させる目的で声をかける同年齢の異性も多かったですが、異星人に思えました。

 オネダリ男もたくさんいました。

 サンローランのスーツを買ってくれとか、神が啓示で、ルイコさんから、研究費を出してもらえとあったとか、前世、兄弟なのに面倒をみかなったから、今世、世話しろとか。

 お小遣いをくれていいのよとか。

 今、思うと特殊詐欺ですね。

 私も決して100%正しいとは、言えませんが。

 枡添知事を生んだのは、東京都民の民度が下がっていて、低いからという批判もあるのです。

☆「身銭を切る。」
「身銭を切らない。」

で検索すると、枡添都知事の家族旅行や飛行機のファーストクラスがたくさん出てきます。

日本国民にそのくらいインパクトを与えたのでした。

 都民だった私にも責任あるのです。

 しかし、豪華旅行を税金で一緒にした随行員は、何も咎めなかったのでしょうか?

 
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