Ruiico (ruiico) wrote,
Ruiico
ruiico

文化村美術館の展覧会から。

 この夏にバスケットを3個くらい編みたい!

 藤田は手先が器用なのね!


 豆本仕立てにしてある!




 お茶プレゼントがついている図録。数カ所のカフェでコーヒーが飲める!


 とても確りしたいい布なので、バックを作ろう!



 お母さんから娘への形見の人形たち。


 私のバスケット!
 



 ピンクの薔薇はインク壺。
母は、私と娘を呼び出しては、帰りに紙袋一杯に2袋も3袋もこの種のものをタクシーを呼んで、持たせた。

 毎回なので私はうんざりして、もう、要らないからと幾度も言ったが、母は他にあげたい人がいなかったのだった。

 母のクローゼットの中には、わざわざ、この中のバッグやアクセサリーは、娘達にと書いてある紙があって、二人の嫁には渡さないという強い意志は、生前から。

 しかし、ただの主婦である母は、特別高価なアクセサリーなどもっていたわけではない。

 妹にといったイギリスの兵隊の絵柄のティーセットは、妹に、持って行くよう言ったが、妹は興味が無いようで、持って行かないし、最早、父の家にも現れない。

 妹や上の弟が本当に欲しかったのは、両親からの愛情で、それが自分たちに向けられて無いと思った二人は本当の悪い組織の企みに利用され、父の遺産失ったのだ。

 それを正しく調査するよう委任されたのが末の弟で遺言と受け取り、裁判をしているのだが、私はその後の末の弟の救済を父に託されているのだ。

☆しかし、両親は決して上の弟や妹を、差別などしなかった。

 父も母も平等に子供たちを愛そうとしたのだ。

 上の弟には会社を相続させ、妹には7年もアメリカ留学を許し、大学院、博士号までとらせたのだ。

 妹は、働きながら大学院に通う学生達には、あなたはよほどお金持ちの娘なのねと思われたと言った。

 奨学金で行ったと妹は言ったが、父はずいぶん送金したと言っていた。

 どう見ても、親の充分な愛ではないか?

 父はむしろ、介護を3年間、一日も休まずしてくれた末の弟に何も与えられないことを申し訳なく思っていた。

 上の弟は、下の弟を会社から追い出し、父のお金も取り上げてしまい、父は合法的に、残った少ないお金で、給料を半額になったが、個人的秘書として末の弟を雇い、父の家で10時から5時まで働かせていた。

 それが、途中から介護に変わったのだ。

 上の弟と妹、二人の問題は、両親からの不公平の愛ではなく、むしろ、自分たちの築きあげた社会の中でのポジションではないのか?

 全く同じように教育を受けたのだから。

 単純に言えば、社会から愛されているかどうか?

 それを、甘えのように老人の両親にぶつけた。

 弱さだ。

 私は母親には虐待され、始終、喧嘩をしていたが、年老いた親を許せたし、いたわりの気持ちが勝ったので、水に流し、歌舞伎や芝居、放浪記とかに誘ったものだ。

 多分、母が私に毎週のようにくれた品物群は母の慰謝料なのだろう。

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