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父の思い。 - 縷衣香 NOW!
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父の思い。
私の父は東北大震災の1年後の3月10日に亡くなった。

 父は私を信じてくれて「自分の子だから大丈夫だ。」と言った。

妹が私を中傷したときも、妹に「人格を磨かなければ駄目だ。」と叱った。

 それは依怙贔屓ではなく、中傷すると言うことが嫌いだったのだと思う。

☆海老蔵さんの奥さんの小林麻央さんの今日のプログに、お父様が彼女の乳癌の手術の時に涙を流したと書いてあった。父親だけが泣いたのだと言う。

 私の父もお産で帝王切開になったときに、調べて、安全だからと言ってくれた。

 母親は何も言わなかった。

 結婚したときも「離婚して親に恥をかかせたら承知しないからね。」と言ったのは母で、父は「辛かったら帰っておいで。」と言った。

 男の優しさと女の虚栄。

 69歳になって今、幸せに生きようと思った。

☆小林麻央さんのお父様も娘の幸せを願い、乳癌の手術で失うかもしれない現実の健康や家族生活を案じたのであろう。

 それを感謝だと言う。

☆大学の時に世の中を憎しんでいる青年に出会い、誠実に対処すればするほど人間に絶望して、25、6歳くらいまで引きずって立ち上がれそうもなかった時に、母親が16日間世界一周と言う大げさな名前のツアーに連れ出してくれた。

 パリ、マドリッド、ロンドン、ロ-マ、ニューヨーク、サンフランシスコの都市を廻ったのだった。

 初めての外国旅行で心が広がり、晴れてきた。

親は有難い。

 妹に同じようなことがあった時に、母はアメリカでの半年の教育ボランティアを妹に勧め、妹は大学院、博士課程まで7年滞在し母が倒れるときは大学の助教授になっていて安心させたものだ。

☆父は深い考えの持ち主で、例えば林芙美子は辛い苦しい方を選んで生きたから偉いというような価値観を持つ人だった。

 大学生の頃、同級生にクラブ活動資金を横領しようと促された時に、それが嫌で大学休み、赤羽のダンボ-ル工場まで働きに行き、彼女にあげたが、もし、それを父が知っても父は嘆かなかったと思う。

 母は多分、その女生徒を糾弾し大事にしてしまっただろう。

 
☆娘と私はとても似た体験をした。

 高校の時に(17歳)、同級生にたぶらかされて私の家のお風呂(高い塀にガラスがジグザクに刺さっている家で、お風呂を覗くには塀の大門のかんぬきを外し玄関を通り抜けお風呂にいかねばならない構造で決して通りすがりに見える構造ではない)を覗いた18歳の青年が私は「きゃあ!」と大声で騒いだ(1回)ために、母親が警察沙汰にしてその青年が自殺未遂をしたときに、私は心のなかで(馬鹿な人のために迷惑をした)と思っていた。

 しかし、あるときに2年後ぐらいだったが、ある種の罪悪感が芽生えた。

 人間を軽視したという罪だ。

 その罪悪感が神に近づけ、私に贖罪の人生を選ばせたのである。

 そそのかせた私の同級生二人は一人は亡くなり、一人はシングルマザーとして働いていると風の便りに聞き、お風呂を覗いた青年もすぐ結婚し、その後は何もなかった。

 私は贖罪意識がなかったら、美術に没頭もしなかったし、ごく平凡に適齢期に世間で言う良い結婚をしていただろう。

☆娘の体験は女性には割とある体験だと思う。

 例えば女子美術大学生の時に芸大の大学院生が「貞操帯を作ったから観にこないか?」と電話がかかってきたことがあった。

 それは反応を楽しがってのことだと思うが私は無視した。

 大学の帰りに地下鉄のホ-ムで怪しげな行為をしている人がチラチラとこちらの反応を意識している。

 私は近眼なのでよく見えなかったが、不快な体験だ。

 男性がからかいや本能?で不思議な行為をした場合、洒脱に笑ってすませる女性もいるがトコトン傷つく女性もいる。

 厄介なことに女性は被害者であるのに、例えば、他の人に知られた場合、社会的に犯罪になるので、ある種のプライドのある職業の人は自殺した前例があるのだという。

 女性は被害者であるのに、加害者意識を持たざるを得なくなる。

☆私がお風呂を覗かれて、「きゃあ!」と叫んだ事は、罪ではないと皆言う。

 69歳になって、色々見聞を重ねて、やはり、罪ではなかったと思える。

 それでは、私の50年近い贖罪意識による行為は一体、何だったのだろう?

あの頃、私は大罪人であるからと機会有る毎に奉仕を重ね、他人の犠牲となることは厭わなかった。

 貧しい人、苦しんでいる人のために自分の幸せなど考えてもみなかった。

 しかし、何か間違っていたと思うのだ。

☆美しく才能に恵まれ運にも恵まれた人が癌になり、子供と離されて涙を流す。

 贖罪一筋だった私も、身が裂かれるように彼方此方の価値観に引っ張られ、結婚すればある種の罪悪感があるものの、奉仕に専念しているはずの聖職者や福祉やボランティアのあまりの汚職ぶりに何か絶望を通り抜け諦めを通り抜け解放に向かい、不思議な幸福感に満たされる日々になったのだ。

☆私の父は私と自分が悪いところも良いところも一番似ていると言っていた。

 父は私の人生をどう見ているか?

 私も娘を信じ、彼女の判断を尊重するものだ。

 私も父の様に言いたい。

 私の子だから大丈夫だと。
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