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現代美術とピコ太郎! - 縷衣香 NOW!
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現代美術とピコ太郎!



ピコ太郎は素晴らしい!

 私は大好き!

 しかし、私が思ったのは現代美術のパフォ-マンスで出て来る人がなぜ居なかったのだろうという惜しさだった。

⭐上の写真の牛は、ニューヨークで現代美術のア-ティスト1000人が等身大の牛の同じ形のオプジェにそれぞれがペイントして、街中に隠れたように置かれていて、歩く度に見つけてとても楽しかったもなのである!

 それで記念にいくつか商品化されたものをお土産として売られていて、買ってきたものが豹柄の牛というわけ。

⭐赤色の水玉を観れば、草間彌生。
IMG_20170105_112133.jpg
 豹柄を観れば、日本人ならピコ太郎。

 そこまでイメージを持っていく執拗さがエネルギ-を作る。

 視覚効果と音楽と哲学。

⭐美術が洞窟画から宗教画、解放のためのルネッサンス、自然画から印象画、自由さを追い続けピカソ、ポロック、漫画、ゲ-ム、you tubeへと表現が移行、発展してきた。

⭐女子美術大学で産業デザイン科でグラフィックデザインを学んた時は、空前のバブル経済でとても充実した青春を送った。

 デザイン界も商業デザイナ-が個人主張し始めた活気のある時代で、横尾忠則や宇野亜喜良、唐十郎、寺山修司、三島由紀夫、黒川紀章、小野ヨ-コ、高橋悠治、細江英公らがパフォ-マンスやメディアに出て時代を創っていったのを目を見張る思いで体験したのがどれだけ幸せだったか。

 学生だった私は銀座の地下の宝くじ売り場で壁画を描いていた横尾忠則に英語の教科書のカバ-にサインをして貰ったり、アニメーションを借りに宇野亜喜良のオフィスに薔薇の花束を持って行ったり、時代にしっかり組み込まれていたのだった。

⭐既成概念を乗り越えて、あらゆる価値基準の変革を試み、電通や博報堂が輝いていたころだ。

 お金は街に溢れ、貧しい人も居たはずだが見えなくて、若いアーティスト達も希望に燃え、社会も若者に暖かい眼差しで若さを許していた。

 やがて、時代が変わり、絶望に向かった文化人達も三島由紀夫のように自殺する者、方向性を変える者、落ち着く者に別れ、大学を出た私もコマーシャリズムの生け贄にならないように気をつけながらフリーランサ-のアーティスト、デザイナ-としてディスプレ-や現代詩のイラストレ-ター、演劇のポスターデザインをしながら、日本文化を学ぶため、茶道、華道、書、料理等の稽古や多種のアルバイトをさながら社会勉強と宗教の実践を心がけていたのだった。

⭐大学を出てから、私は「流異」、「流異香」として社会から無視されること無く生きる事ができた。

 時代がそれだけ豊だったのだろう。

 毎年した個展もかならずどこかのメディアが取り上げてくれ、発明した「易カルタ」も出版され、売り込む事無く、ファンシーグッズも依頼がきて、サイン帳もプチ袋も市販され、年賀状が出されたころは、街を歩けば目につき、400万枚売れた頃がピ-クだったか夢いっぱいに生きていた。

 豆本がカレンダ-になり、1980年にパリに行った前後から地獄に突き落とされる事が5年程続き、世間の怖さを学んだのだった。

⭐それは画家を仕事としていた私には考えられない1冊の本の出版を願う人からの突然の原稿の送りつけから始まった。

400字の原稿用紙が300枚くらいか?

 マスコミに扱われるようになると、知らない人から私もマスコミに出たいという依頼がたくさん来る。

 自分にもチャンスが有ればと思うようだ。

 お人好しの私はそんな人たちのためにもよく働いた。

 それで、その人達も新聞からテレビに出るようになって成功した人もたくさんいたが、お礼の有難うの言葉ひとつしない人が殆どだった。

 その持ち込み原稿が本になったところがT出版社で、その社長は前世が清和天皇だといい、他人をただ働きさせることが普通だった。

 なかには、刑事事件に訴えてやる。やり方が紳士的でないと怒っていた著者もいた。

 電通の不当過労労働が話題になっているが、20代の大学出たての女の子にただ働きさせる人はザラで、怒ったり、訴えたりする時間とエネルギ-が勿体ないので、直ぐ頭を切り替えて前向きに生きてきたが、それでも美術界は悪人より善人のが多いので生きてこられたわけであった。

⭐しかし、30代前後にあった宗教、スピリチュアル、福祉に携わる人達は悪人の方が多く、集るためには平気で嘘をつき、罪悪感をもたらしながら、暴力を振るい見ず知らずの女性から有り金残らず集り、アパートを乗っ取り、一生、生涯、ただ働きさせようと寄ってくる人ばかりだったのだ。

 T出版社の社長は東大出のおごりか?若い女性が自分の思い通りになると思っていたようで、私をホテルに誘ったものの無視されて以来、強姦目的としか思えない変質者や精神病院に通う人や女性に相手にされる機会の少ないと思われる重度の障害者や暇な大学生達にわたしの電話番号をばらまき、電話をかけさせ、嫌がらせを続けた。

 このT出版社も社長が亡くなり代がかわったものの、年賀葉状がきたのであった!(驚)

この清和天皇が前世だったという社長は、私が公的に強欲さを活字で批判してからも、重度の障害者を使って、これからもT出版のために(無料で)働いてほしいと言ってきた。

 そう言えばキャンドルアーティストの女のこにT出版は3ど倒産していて自分も働くよう誘われたと聞いた。

 (私は2冊、大変なベストセラーとなった本を紹介したが、表紙のカバ-デザイン料以外は無報酬。)

 また、私への嫌がらせのために電話番号を知った大学生達はさらに、金銭に困る社会から信用を得れ無い人を連れてきて、初対面で自分達の飲み食いした店のレシ-トを提出したり、「自分の研究費を神はルイコさんから出して貰うよう啓示があった。」(笑)と強請するような人々ばかりであった。

 私は過労で生死の間を彷徨ったが、この赤の他人の人達は家庭、親の所まで入り込み、無心をする人達迄いた。

 大げさだと思いますか?

 前世、自分の世話を怠ったから今世、償いとして自分の世話をしろという19歳の大学生がこの前、変なものをクリスマスにおくりつけてきたのであった(今は60歳前後だと思います)。

 ある修道女はインドやバングラデシュの子供達の教育費を送金しろと、25年間、2人分から5人分毎月支払い続けたが、ちょっと疑問があったので、これで打ち切りますと通達してからも10年も請求書がきて、子供達は学校を出ても自動的に次の子供達を入れ、終わり無くこちらの許可を取らず、請求書が届くので、幾度も断ったが、日本語がわからないのか送りつけ続け、涙流すほど辛かったが、この冬も来たがようやく何も感じる事無く無視することができた。

 年間5000万円ほど集まり、自由にお金ができるので内部で争い裁判があり、送られた子供の写真にこちらの住所氏名をロ-マ字で書くル-ルがあり、それを糊を剥がして子供の母親が上の子供が結婚するので内緒でお金を送ってほしいと送金依頼まであるのだった。

 60歳の別の修道女が「ルイコさんは結婚できない事情があるから、一生ただ働きさせて左うちわの老後を過ごすのよ。」と公言。

 70歳の神父が「小遣いをくれてもいいのよ。」と暗がりに連れ込み有り金20万円を取り上げたり(結婚前で家具を買うためたまたま持っていた私にしては大金)。

 児童福祉施設では、「ルイコさんをただ働きさせるから本当のことは言ってはいけない。」と箝口令をひかれ、体を壊すまで強引に雪の山梨に連れてかれたり、人間が住む所とは思えない廃屋に寝かせられた。疑問顔をすると、「孤児がかわいそうとは思わないのか?」と恐喝され、意見を言った男の指導員は半殺しの重傷を負い、流石の園の雇った弁護士も経営者に50万円払って詫びを入れる勧告をした。

 日本のボランティアの総元締めでは、会長が「皆の寄付で世界数十カ国訪問した」と自慢。

⭐自分のことは考えず、世のため人のために生きてきたつもりが、栄養失調症になった体と絶望しきった心だったので、35歳で結婚することにし、アーティストとしても蘇ることができた。

⭐因果の法則は完全に働き、それぞれの不正施設は消え不正をした人も相応な結果となった。

⭐それから、身近な加害者から娘を護る為(憎しみから1歳の娘に恐い思いをさせたらしいが、その場に居なかったので恐怖の泣き声だけ聴いた)離れる口実でパリで個展をした。頼まれてコルベ記念館の宗教画を描いたり、毎月全紙サイズのコラ-ジュを描いたりしたが、これは全部必要経費を含み自腹で寄付である。

⭐40代の1995年にアメリカに移住し7年住む。

⭐デッサンを2カ月しかしないで受験したので、デッサン力の不足を補う為にハ-バ-ト大のサマ-スク-ルでデッサンを学んだ。

 それで、20代の頃のように再び運が開けたのであった。

 サマ-スク-ルで習った教授が才能が有るから、ハ-バ-ト大の正規の授業で学べるようにしてくれ、コルビュジエの建てたカ-ペンタ-センターでデッサンや油絵を学ぶことができたのだ。

 VIZAを取るために学生になる必要ができて、SMFAで学ぶことになった。

⭐SMFA(ボストン美術館付属美術大学)で新しく習ったのは3Dの陶芸、油絵、テンペラ画やパフォ-マンスとインスタレーションで、パフォ-マンスは目から鱗というア-ト理解であった。

 ア-トはここまできたのだ!

 狭い日本で正しいア-トを学び、実験的だったり、個性だったりすると潰される。

 日本の東京芸大でリカちゃん人形を使った作品が無視されたそうだが、私がSMFAでバ-ビ-人形を使った相撲レスラーの差別抗議作品を女性差別と人種差別を訴え黒人、白人、黄色人種のバ-ビ-人形をつか作品は卒業式にスライドショーで流された。

 若いリカちゃん人形を使った学生が元気を失わないようにと願う。

 そんな風に、アメリカやヨ-ロッパと日本の文化の受け取りが差が有りすぎて、どう発言したらいいのか非常に苦しい。


⭐ピコ太郎は素晴らしい。

私は古坂大魔王の「サンバでないよ。ネブタだよ。」

「林檎追分」も好きだ。

 彼は、日本のお笑いや音楽が素晴らしいと、だから、世界中に広めて知って貰いたいという。

 世界中が幸福になる為なので一瞬でもそのときに幸せを感じてくれたらという。

 you tubeをみると、1歳の赤ん坊でも音楽に乗り、手をうったり、「ウッ」と言ったりして、犬まで反応してテレビ前に寄ってくるというのだ。

 P音は破裂音で認知症にいいそうで、ある老人ホームでPPAPをやることにしたという。

 こんな素晴らしい人がお笑い芸人から出て、世界中の人を喜ばしている。

⭐アーティストには色々いて、みな、違うから素敵なのだ。

 SMFAでは、成績をつけなかった。
gradeで評価されなかった人が卒業後、著名なアーティストになり、評価された人が何も残せないことがザラだったという。

賢いやり方だ。

序でに、学歴も必要ない世界だ。

⭐ピコ太郎がアルバイトを語り、おおよそ、特権階級から離れているのが、知的だ。

⭐ブレイク前に、「ビフォーアフター」で、両親の青森の家が屋根の雪下ろしでたいへんなので、お兄さんが2800万円の予算を出し、芸人の古坂大魔王は青森にリフォ-ム手伝いに肉体労働80回通ったと言う。

最後にネブタの絵師が描いた宝船が玄関のガラスに貼られた。灯りをつけたときに、宝船が幸せを運んでくれるようにご両親はうれし涙を流していた。

 お父さんは溶接工で自分の家のためにもその技術を使っていた。

⭐フランスのテレビでインタビュ-の時、フランスらしいと思っていたが、「階層は?ご両親の職業は?どこで働いているのですか?」と尋ねたら、ピコ太郎は「ファクトリーです。工場です。」と答えた。

 冗談で自分の口は臭いとも言っていたが、これにはフランス人は無反応。

 自分の居場所を下に置けると言うのが知的と言うことだ。

 なかなか凄いピコ太郎である。

 それと、楽屋芸人で1円にもならず何の評価も公的にも得ない笑いを何時間でもしていたという無類の欲のなさが財産となって、世に放たれているのだと思う。

 因果応報のプラス版か?

⭐主人から印刷した年賀葉書が届いた。

 これで返事を書けるが、長野に着いた方も独身の同年代のア-ティストからが多いが、)東京芸大では、女性に金を出させよと教授が教えてる。」と言ったのや、「自分が出るはずだった『ちい散歩』にルイコさんが出てラッキ-ガ-ルだ」とネチネチ恨み辛みを訴えたのも居る。

 この人達はなぜ年賀葉書を出すのか?

 これはどう理解したらいいのか?

 こっちは反吐が出るくらい嫌いなのに。

 礼儀であるから、返事は書きましたが。

⭐今年は良いことがたくさんありそう!

 今日は鰤大根を作ってみよう。


 一応、年賀葉書を書いたのでこれからセブンイレブン迄行きます。

(今、テレビで長野の平均寿命は女性が87.18歳だが、健康で働ける寿命は全国18位だと言っていた)





 美味しかったですよ!
 今日は温かなのでお花たちを日光浴に出してセブンイレブン迄出かけた時も軽装で大丈夫でした。



 娘は必ず食べ切れ無かった分はタッパーウェアに入れて、自分のコテ-ジに持って帰る。

エスニック料理が好きなので、お昼は各自別にしたので、昨年に比べると楽になった。

⭐今、テレビでお笑い芸人が結婚し、子供が出来幸せになると、面白く無くなり、ハングリー精神を失わないために結婚しないと、言っていた。

 ピコ太郎も実際年齢43歳が独身で家族があないのが、ハングリー精神を保てたのだと思う。

 幸福って危険だ。

 何か不足が有った方が良い。

 あの地獄に突き落とされた私の5年間やピコ太郎のブレ-ク仕掛けてしなかった時代が、尊い磨きの時代だったといつか判るかもしれない。


 
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