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雪、雪、雪、雪! - 縷衣香 NOW!
ruiico
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雪、雪、雪、雪!
 天気予報を見たら、氷点下8度で雪だるまのマ-クが1週間!



ハ-ト型のしんじょ!
茄子と油揚のお味噌汁!
卵かけごはん。
日本の朝ご飯は美味しい。



 パンチ君が5段脚立梯子を持って来てくれて電球を替えてる最中。

 結構、大変のようだ! 

電球の替え置きが多種あってそれも良かった。

 


 明るい♪



☆昨晩2時まで、末の弟と電話で話し込んでしまった。

 昨年、中華街で私は1000円の手相見でみて貰ったのだが、感情線が実にきれいに入っていて、「あなたはお母さんに感謝しなければいけないよ。実にきちんと愛されて生まれた子だ。」と言われた。

「えっ?」
 私は殆ど喧嘩ばかりしてきたので、虐待されてきたと思っていたのだ。

 末の弟は両親から愛されて育ってきたが、「その手相見は1000円以上の働きをしたよ!」と言う。

 父はハンサムで目立っていたそうで、母は女学生の頃から知っていて、熱田神宮などで見かける度に、「格好良いなあ。」と思い、「絶対、この人と結婚したい!」と決意していたという。

 お見合いでその話が来たとき超ラッキーで、おめかしして出かけたと思われるが、昔のことながら、母の両親は上から片付けたいと、年子の次女と三女の母とお見合いしたそうだ。

 次女は英文科出身で名古屋のアメリカ領事館に勤めていた。

母は同じ大学の家政科を出て、小学校の教師をして2年くらいだった。

 父の家は呉服商で着物を縫える家政科を出た母なら貰いたいが、英文科出身の方はいらないと答えたのだらしい。

 名古屋で朝日新聞に勤めてインタヴュー記事を書いていた従姉妹はたまたま父の従姉妹の有名料理研究家に会って、次女が生涯、独身で生きたことに胸を痛め、「本当は父は次女を気に入っていたのだ。申し訳ない事をした。」と言っていたという。

 でもね。子供4人もいるのよね。今更、聞いても。

それで、待望の父と結婚した母は幸せであったに違いない。

 最初に生まれたのが私なので、それが手相見の言う美しすぎる感情線なのだ。

☆実際に、人生は厳しい。

 母の父は英字新聞を読んでいた人で、自慢の娘は英文科出身の次女で領事館勤務も誇りだった。

 結婚してから仲が良かった年子の次女と母は日常生活に家でも食事をしていたらしい。

 私が大学の頃、伯母は虎の門のアメリカ大使館勤務になったが、私の家に自分の部屋を用意して貰いそこから大使館に通いたいと言ってきた。

 子供4人もいた我が家にさらに伯母の部屋を作る余裕もなく、母も「何時までも姉面して指図されて生活するのは嫌だ。」と言うので、私が隣駅の自由が丘の女子専門のマンションを探してきて、治安もよく駅にも近いので伯母も喜び、死ぬまで隣室も借りてそこに住んでいた。

 母は自分の上の長女が結婚して満州に嫁ぎ、離縁され出戻って自宅に住んでいたので、自分はそうはなりたくないと、おっとりの祖母(母の母)の家庭教育では駄目だと自分の父の姉が横浜の軍人に嫁ぎ暮らしていて「家事見習いに1人自分のところに寄こしなさい。」と父親に言ってきたときに。切願して大伯母の厳しい暮らし方を学んだのだそうだ。

 母がしっかり者と言うのはそう言うところで、家政科をでたせいか女性は家事ができないのが一番悪いと英文科出身の姉の高尚な哲学を笑っていた。

しかし、かなり仲良しでミッションスクールのコ-ラスで姉はアルト、妹はソプラノで一緒に歌っていたと家事をしながら、声高く「流浪の旅」とか「忘れな草」「ハレルヤコ-ラス」を歌っていたり、一緒に宝塚を観に行った事を良く話していた。

☆昨日、末の弟と話したのは上の弟が最後に両親を裏切った理由がピアノに関係があるのではないかというのだ。

 母は女学生の頃、ピアノが弾きたかった。父に買って貰いたくて姉と一緒に楽器展に行った時に、父が贔屓の次女が「欲しくない」と言ったので母のお願いを退けて、とうとう買ってくれなかったので、随分恨みに思っていた。

 私の家が落ち着いて一戸建てに住んだ頃、私も妹も末の弟もピアノを習ったのに、上の弟だけはピアノを習わなかったと言う。

 私は日本舞踊、妹はバレエ。それからピアノに移行したのだが、上の弟はお稽古事をしたことがあったかと言う。

 でも、もし、上の弟が何かしたいと言ったなら、習わせなかったとは想像に堅くない。

 高校になって、世はビートルズの出現で若者たちはエレキギターを演奏したりバンドを作ったりし始めた時代。

上の弟は高校迄のある受験校に通っていたが、父親にエレキギターを買って貰う基準が通信簿の平均点以上が条件だった。

 そして、平均点だった上の弟に父親は平均点以上の定義がぎりぎり平均点ではだめだと買ってあげなかったのが根にもったようで以降、親子関係が悪くなったのであるl

 末の弟によると父の体力が落ちてきて大きなテレビを居間にも設置するために(寝室にもある)真っ先に売り飛ばしたのが私達が弾いていた古いピアノだと言う。

 それは現実に母もクモ膜下で入院し、私達もピアノを弾く度に出入りしていたわけではないので、誰も困らなかったが、自分だけピアノを習わなかったので執着もなく、むしろ、怨みのピアノだったのではないかと。

 そして、自分の力でエレキギターを買うようになった上の弟は普通のサラリーマンになったが父の囲碁と自分の母親の住んでいた箱根のマンションの近くに祖母に会うために購入したマンションに上の弟のエレキギターはアンプと一緒にいつも置いてあるのだった。

 下の弟に言わせると、ギターを聴いたが音楽の才能はないので、子供の頃にピアノをやっている機会があったら、早めに音楽の才能のないことに気づいて、エレキギターの件で親子関係のくずれも無かったというのだ。

 ふ~ん!

☆私の長く住んでいた目黒の家は純然たる日本家屋だったが8畳か10畳の畳の上に絨毯を敷いて丸テーブルに応接セットのソファ-にア-ムチェアにアップライトのピアノが置かれピアノの上にルノアールの絵の複写で少女ふたりが犬を撫ている絵がかけられていた。

 ピアノの先生はとてもいい人で、銀行にお勤め帰りに来てくれた。

 音大は出ていなくて家が貧しいので高校でも音楽の先生が授業あとに教えてくれたと言う人で、会社で貰う紅白のお菓子などいつも私たちにくれた。

 母も情が有る人でピアニストにさせるわけでもないので、それを良しとしていたが、人間が素晴らしく浜松だったかピアノ工場にも連れてってくれた。

 ですから、ピアノのお稽古が嫌だなんて思った事は無かったのだ。

 上の弟が習わなかったのも深い意味が有るとは思えない。

☆中華街のお爺さんの手相見ではお母さんに感謝しなさいと言うことだったが、喧嘩をしながらも、私への執着が異常な人でお茶の稽古のために着物を週に3度も着せてくれたのだが、髪を結う時もかなり痛く引っ張って結い上げて、「悔しい悔しい。」と言うのだ。

 かなり完璧な着物の着付けで、帯なども工夫して、よく誰が着せてるのかと訊かれるほど着崩れがしないと褒められた物だが、母親は自分の完璧主義がきちんと着せないと我慢ができないものの造反している娘に着せるのが我慢できないほど癪に障るらしく、「悔しい。憎たらしい。」と言い続けて来たのだ。

しかし、手相見のお爺さんのみるところ、それが愛情で、妹には差別するわけではなかったがそのような執着はなかったのである。

妹は、上の弟はそれが羨ましかったのかもしれないと末の弟が言うのだ。

 因みに、台湾家族に拉致されたのはこの頃で、上野毛だか等々力だかの家に呼ばれ、出身校とか色々訊かれた時も(う-ろん茶も月餅も水も出なかったのよ!)
慶応出た30くらいの社長と妻と赤ん坊がいて、「弟のアメリカにいる大学生の嫁に!」
と「台湾では大きな新光貿易のオ-ナ-だ。ボールペンの箱のデザインをしたら、ヨ-ロッパに連れて行ってやる!」等と言って引きずり込もうとしていたが、母親には亡くなるまで話題にしたこともないが、もし知ったら警察に突きだして誘拐罪、拉致罪で刑務所にも入れる激しさ正しさを持った人で、私は被害者でありながらも庇って、台湾人が堅いガラスの灰皿を私の頭に投げ出していうことをきかない私を威嚇し始めたときも、ひたすら泣いて喚き、私が無能であることや価値が無いことを言い続け、赤ん坊を抱いた妻が出てきて夫を諫め無事帰れたのであるが、その前は強制的に時給130円で働かせられたり
逃げると、車で付けてきて(あとで知った)家を確かめ次には仕事で家に来いと呼び出されたのであった。

 私がふと考えるのは時給130円は茶道の扇子も袱紗も買うのに幾時間もかかりそうな値段で、赤の他人が強制的に真っ昼間、駅まで歩いていた女性を引きずり込み労働させる心理に実際の当時の暮らしとのギャップに不可思議と思うのであるからである。

だって、婚活しに普通、駅まで歩いていますか?

それと思い遣りが有る私が彼らを傷つけないようにどれだけ注意したか?

私なりに極めて愛情深く、恥をかかせないように傷を付けないように、自分を可能な限り卑しめてきたか、彼らがわからないように悪者になったか。

人間が生きる事の大変さをいつも学んでいたのだ。

 キリギスや中国の一部では、拉致婚と言うのが本当にあるようで、台湾家族もそうした家族なのかもしれない。

 私の母親の愛情は即ち彼女の夢で、私は例えば、上村松園のような女流画家にしたいことで有った。

 妹は結婚させて、私には「家事はしなくても良いから、一生、家にいて絵を描いて暮らすのよ。」と暗示をかけていた。

そう言う事も、愛情の独占のように見えて上の弟も妹も羨ましかったのではないかと。

 何を今更。

私のお人好しとよく働く体質とは33歳の独身の時に赤の他人の60歳の修道女が「るいこさんにただ働きさせて一生左団扇で楽に遊んで暮らす予定。」と公言させていたほどで、母は修道女の写真を見て「これはしたたかな顔だ。」と驚き呆れていたが、現実に、両親も居たのだから、あり得ない実現不可能な夢だったので有る。

しかし、目から鱗である。

母親が私を愛していたなんて、知らなかった。

 私は最も愛されていなかったと思っていたのであった。

 私は貰い子か父の隠し子で、母親からは虐待されていると思って、叔父に問い合わせた事があるくらいだ。

そうか!

愛されていたのか?

感謝しなければいけないほどに。

☆私の実家の相続に関わる戦いは、上の弟と妹が自分達は愛されなかったからその分、多く貰いたいという言い分が不当で末の弟が起こした裁判なのだが、家の家族は生前、父が言っていたように母が言っていたように特別優秀な子も居ない代わりに特別劣等な子も居ないので、皆、同じくらいだから良いのだが、感受性は不思議で、そうは思わない人もいたわけで、第三者が入ってきて、実際には最も美味しい部分を取り尽くしたので、考えの浅さと言うのがいかに危険かおもうわけだ。


☆パンチ君にはお礼に水戸の納豆チョコレートをあげた!

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☆夕飯!

 娘は翻訳機を使ってマイナーな言語を読むのだが、日本のニュースでは流れない真実の出来事の怖さを今日話していた。

 ルーマニア語でかつて殺された日本人女性のことだ。日本のニュースでは語られないほど怖いことが起きていたのだが、不思議にその加害者は責任を逃れ日本でのうのうとエリートをしているらしい。

 得体の知れない何かが操作していて、問題をなかったことにしているようだ。
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今日から明日朝まで、長野北部は大雪注意報!

☆夜中の12時!

雪は既にとんでもないレベルに!

 明日は早くから雪掻きしないとコテ-ジから出れそうもない。



 お風呂にはいって早く寝なければ!

 バスボ-ルは半分に割って使います。

 今日のはクチナシとかキウイフルーツとかの香りです。

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