ボストン美術館は多くの大富豪のコレクションの寄贈によって成り立っているようだ。
ゴッホの郵便配達の友人の肖像画は幾枚もあって、損保ビルでも別のを観た記憶がある。

彼がこの絵の寄贈者。大変な富豪で邸宅の使用人が60人だったと言う。

右の人が郵便配達人の妻の絵の寄贈者。

二つの絵は画風がかなり違い、夫人の絵は耳を切った後の仕事である。

同じ構図の絵がいくつもあって、ゴッホのしつこい探究心わかる。

☆7年間、住んでいたボストン。
そのうち、4年間通っていたボストン美術館附属美校。
ニューイングランドのボストンはニューヨークに比べると保守的な古都だが、美術や学問
に対してはとても豊かな学園都市だ。
学生であった私は(1997年から4年、49歳から53歳)、学生証でボストン美術館
はフリーパスだった。
私はペンテラ絵画やイコン画を観るのが好きだったが、現代美術もよく観ていた。
☆岡倉天心の庭へもよく行った
つい最近、天心の映画の上映や茨城、五浦の天心の画塾跡に訪ねることができ、東洋美術
への情熱に深く畏れ入った。
東北震災で流された六角堂も何億もかけて修復されていて、地元の人の思いもうかがい知
れた。
天心は妙高村の赤倉温泉にある別荘で没した。そこにも六角堂がある。
☆フェノロサの日本美術収集を手伝いボストン美術館で働いた。
☆多くの人の美術への熱い思い。
☆学生は世界中からきていて、外国人は、大抵、母国の美術学校を出ていた。
障害者は授業料が無料。
驚いたのは、生物学の教授や弁護士達が、晩年の嗜みとして美術学校にきていて、84歳
の女性もきていた。
授業料は高かったと思うが、家庭の事情がある人には、奨学金が出ていた。
学生達を支えるボストン美術館の支援者たちがいて、遺産を美校に寄付する人もいた。
学校以外にも経済的援助をする団体がたくさんあって、年齢、性別、国籍別、専攻別に奨
学金が出た。
私もバルセロナまでの旅費を戴けた。
☆卒業式。

卒業証書。

☆先ほど、ゴッホとレンブラントを主に取り扱って居る本を読んで、ゴッホの偉大さは、社
会的に弱者への共鳴が造形よりも色彩よりも、観る人の心に届くのだと思いに至った。
☆都美術館でボストン美術館展を観たとき、泣きそうな気持ちになりました。
芸術作品は、人の魂を喜ばせ魂を潤す。
描いて居る人は、命を削り蝋燭のように、身を溶かし光を永遠に放ったのですが。
☆ちょうど、12時から小一時間、寝てしまいました。
電気は煌々とつけたまま!