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大雨の後で、雪が溶けました❗しかしながら、雪が降ってます。 - 縷衣香 NOW!
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大雨の後で、雪が溶けました❗しかしながら、雪が降ってます。
 父が亡くなったのが震災一年後の3月11日の夜の11時。
 葬儀は東北に出向いた僧侶たちの帰りと妹が鹿児島から来れる時間を考慮して、数日後だった。

中国好きな父が生きていたら、空海は観たかっただろう。

 浅草の東本願寺で葬儀まで遺体は寺に預かって貰っていた。初七日は親鸞の幼いときの伝説に因んで桜の刺繍のお飾りの布が掛けてあった。

 僧侶はお父様の心がけが良いのでこう言う日に初七日を迎えられたのだといった。

 「92歳で亡くなったお父様はお幸せだ。自分の父親は50代で亡くなった。東北では多くの人が寿命前に亡くなり、葬儀でこんなことを言うのは妙ですが、お幸せだ」と僧侶は言った。

 そして、自分で買った東本願寺のお墓に入った。

 父の母は寺の娘だったので信心深かったし、情けを重視する価値観で立派に生きた。

 父は戦争で七年中国に行き、中国語の通訳をしていたので中国文化にも精通し、戦争が終わった後も日本に帰らずこのまま中国に残ると言って、仲間にごねたらしい。何はともあれ、一度は日本に帰国しましょうと説得され、帰国して母とお見合いしたのだ。

 と言うわけで、私が中国に旅行するときにはおこづかいをくれて、周恩来の書の刷ったものや色々買ってきた。

 中国文化は最高だと言って、戦後の日本が落ち着くと中国語を磨き、台湾人や中国に在留した日本人をよく家に招いていた。

 私たちは子供4人の6人家族だったが、自主独立の精神を身につけるためと個室で、日本人としてはおおざっぱに育てられた。

 男の夢を体現した人で、母が倒れて私が父の家に行き、掃除をするようになった60代になった頃知ったのだが、愛人も三人も居てお手当ての封筒が三枚もあって、書きかけの父の手紙には一人は40年も続いているようだった。

 母がくも膜下出血でいろうで植物人間として入院している間、さっさと社交ダンスを学び20代のダンスの先生が結婚すると嘆いていた。

 母親はヒステリーで人間的に幼いと思っていたが、原因は父だったらしい。




 ビニールレースは穴が模様にあるので、下の布地に染みそうなので、もう一枚ビニールを敷くことに❗




 今日はパスタにしよう🎵
 風邪気味なので、今日は掃除とお絵描きに集中!

☆お昼❗
このサラダは娘がとうもろこしをくれたので、ジャガイモ、豚肉、アスパラガス、人参と茹で、ソテーしたものですが、とても美味しいです。






☆イカスミ❗









 雪が積もってました。


 今日、明日は雪らしい❗
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