Ruiico (ruiico) wrote,
Ruiico
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終戦記念日、聖母マリア様の被昇天の祝日!

このごく普通のワンピースは夏のバ─ゲン
で10年以上前に買った。

 生地が薄いので涼しい!





 ヘミング・フジ子さんの14歳の絵日記を昨日読み終えた。

 

 両親の離婚。戦時下の混血、ロシア系スウェーデン人の父とドイツに留学しピアノを学んでいた裕福な家庭の娘の母。

 混血だと見栄えがわかるので、石のつぶてを投げられたり、配給が回ってこなかったりした女学生時代のフジ子さん。

 フジ子さんの父は絵描きだがデザインや風刺漫画を描いていたが、食べる為に建築家になりスウェーデンで成功したがフジ子さんがドイツに留学できた30歳を過ぎた頃、あってもくれなかったと言う。

 フジ子さんの母は離婚後、日本でピアノを教えフジ子さんと弟のウルフを育てた。

 夏の日記には戦時下の中で配給を取りに行く日常と出稽古に東京から埼玉まででかける母の留守をする日常が書かれている。

 フジ子さんの母は子供の衣服を縫って着せていたし、フジ子さんもお人形作ったり、弟や自分の衣服を作っていた。

 私の母は戦時下では名古屋の女学生で、小学校の教員を二年していて、学童疎開で子供達を岐阜の養老の滝に連れて疎開していた。

 父は中国で7年。中国語は1ヶ月でマスターし通訳に選ばれた。

 それでも二、三発打たれて体に銃弾の跡がある。

 父は情報集めに中国人と多く関わって
中国人が好きになり終戦後も中国に残るとだだをこね、周囲の説得でしぶしぶ帰国し、戦後、母と結婚した。本当は中国貿易をやりたかった。

 母は年子の姉がいて同じ大学だったが家政科を出たので、洋裁、和裁ができた。姉は英文科出て、独身でアメリカ領事館、大使館に勤めた。

 それで、フジ子さんの母のように衣服は縫ってくれた。当時はそれが普通だったかもしれない。

 フジ子さんのお母様のピアノレッスンは厳しく、毎日レッスン。

 中耳炎の手術の失敗で片方の聴力を失う。

 それでも上野の音大に行き、多くの級友のようにドイツ留学をと考えた時に国籍がなくなっていて難民認定のビザの発行でようやく願いの叶ったのが28歳になっていたという。

 ドキュメンタリー映画では、フジ子さんはずいぶん外国でもご苦労されたようだ。

 せっかくのコンサ─トのチャンスも風邪で聴力を失い不成功に終わる。

 それから母親の死で家の処分をしないために日本に帰国し、外国にいたときよりさらに貧乏だったという。

 そして、NHKのドキュメンタリーが取り上げてブレイクし、今では、下北沢、京都、パリ、ベルリン、サンタモニカに家を買い世界中、演奏活動をしている。

 数年前に聞いた話だと、ワンステージ250万円の演奏料で、日本には演奏だけで食べれるピアニストは10人くらいで、フジ子さんはその一人だそうだ。

 私はニューヨ─クのカ─ネギ─ホ─ルのに行ったことがあります。
 





セブンイレブンでおにぎり2個買いました。
🌠暑い!
 北長野に花を観に!
 権堂からの七番バスはなかなか来ない!


 返駅で降りてケイヨ─D2に降りました。

 お花を買って歩いて東急ライフまで。
 東急ライフの中の百円ショップで掃除用の濡れティッシュ5パック。
 スカンジナビアの寝具セット。
 インドのソファカバー。
 野菜とお肉とマグロのお寿司を買う。

🌠
北しなの鉄道の時間待ちにジンジャーエ─ルをモスバーガーで!


🌠

 今日は変な日で、東急ライフの籤券でこのティッシュペーパーが貰え、ケイヨ─D2もシルバーの日で5%が現金で帰ってくる日なのであった。


 娘がアイスティ─をくれた!





 寝具セット!


 権堂ア─ケ─ドのパン屋さんで買う。

 100円ショップCanDoとWattsで買いためたもの。


 夕飯。



🌠素敵なおじいさんですね。


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