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雨! - 縷衣香 NOW!
ruiico
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雨!
❇朝、起きて昨日読んでいた「横山操」の図録をベッドの上で読んでいたら、ずいぶん過酷な生涯を生きられた方だと知った。





養父が高い画材を買与えてくれた。
嬉しくなる。






 毛沢東が横山操を評価。


 受賞した作品も惜しげなく本人が焼却。











1920年1月25日新潟県西蒲原郡吉田町に生まれる。
   医者の私生児だった。
1922年3月、生家の斜向かいの薬局を営む横山修平の養子となる。
1927年七歳で吉田町立吉田尋常高等小学校入学。
1931年11歳のときに県展入選。教師から薦められ、油彩画を始める。
1934年高等尋常小学校を卒業して、画家を志して上京。神田の同郷の塗料店に住み込む。その後、銀座木挽町で壺堂図案社を経営する光風会所属の画家、石川雅山の内弟子となり、版下やポスターデザインを手伝う。
1938年、18歳光風会入選。
1939年、19歳、石川雅山の勧めで日本画に変える。川端画学校日本画部入学。
1940年、11月20歳、養父、横山修平の死 去。
12月召集。
1945年、25歳、終戦とともに現カザフスタンに抑留され、石炭の採掘に従事。
1950年、30歳。日本帰国。
     石川雅山宅に寄宿。昼は不二ネオン社に勤め、夜制作。
青龍展入選。
1951年、31歳、杉田基子と結婚。
1952年、32歳、長女彩子誕生。
1956年、36歳、求龍堂の支援で銀座松坂屋 にて第一回個展。
     松原に一戸建て住宅に住む。
1961年、41歳。40日間、アメリカ旅行。
1962年、42歳。
作品を縮小するよう命じられ青龍会脱退。作品を焼却。
1970年、50歳。青梅に別荘にアトリエを新築する。
1971年、51歳。脳卒中で倒れ右手使えず、左手で絵を描く。
1973年、脳卒中で逝去。
   

❇庭の花を観ていたら、近所のおじさんが尋ねてきた。
 私は半袖を着て立ち話をしたので、咳き込みが始まった。

 庭に積んである丸太がこのままだと腐ると言う。自分にくれないかという。薪にしたいと言う。

 ごめんね。薪にするため1年は乾かし、16日にコテ-ジチェックに長野の大工さんが来るので、相談してみる。

 私も、アマゾンで買ってるくらいだから薪は要るし、雪からまもるためにボコダを覆う物を大工さんに作って貰う予定なので、薪も切ってもらう予定なのだ。

 その話をしているうちに体が冷えて今日は外出禁止。






 コメリで買わなければと思っていたら、テ-ブルの下から出てきた!







 テ-ブルの下の防災グッズを点検することに。


 ガイガ-カウンター。
 放射能から身を守るために!





 飯盒や魔法瓶を洗い、水を入れ替える。



 出てきた段ボール箱や賞味期限のきれた麦茶を燃やす。

 不洗米も出てきたので早速炊き上げる。







❇お直し!



❇❇❇
ド-ルハウスのお掃除。




 二階には洋式トイレが!











 鯛飯!


❇ムツゴロウを観てる。




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