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何が幸いするかわからない! - 縷衣香 NOW!
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何が幸いするかわからない!
 小山敬三のことは知らなかった。
彼は小諸の生まれで、豪商の侍身分を許された育ちだ。

 彼は慶応の分科に通い、島崎藤村に画家になるための助言を求めたら、フランスに留学することを薦められ、芸大には行かず(本人も教育により個性失うのを怖れる)渡仏する。

 父親は経済的などの理由で画家として世間にこびたりする品性になるのを危惧して反対するが、極めて志高い息子と父親は理解し合い経済的援助を惜しまずパリに送る。

 アテネフランセに通い、船でフランス入りした後もフランス語を学ぶ為にあった貴族の娘と後に結婚し、9年の滞在中、ゲランと言う画家に指示を受け、デッサン、構成力など学ぶ。

 この間、画集を取り寄せた左手のピアニストの父、智内兄助さんは芸大にいったものの当時、学園紛争のただ中で教授の指導はなく設備環境の利をえたものの、自力で絵を描けた自由さが創造性には多いに良かったと本人は言う。

 小山敬三さんはパリで藤田にはあって交流があったが、藤田も芸大で学んだものを棄てなければと作品を破棄した。

 智内兄助さんは父親を早く海で失い、沢山の子供たちを養うため母親は重労働で子育てをしたが、画家を志しても貧苦の中で、世間に媚びないようにとは考えないだろう。

 藤田にはフランス嗜好に寄り添ったところもあり、親からの送金を三十歳には当てにしないで自力で生計を立てれるようになる。

 小山敬三さんは自分は大変幸福であると書いているように、いろいろ恵まれた人だ。

 国際結婚も成功し、妻は異国で微笑みながら死んでいったという。

 どちらの生き方が正しいわけではないが、フランスでも地元でも認められ、美術館を建て寄贈し、更に二億ほどのお金を後進の援助の為用意し、残した。

 この美術館は1年に10万人は入り、日本国内の中の10の指に入る集客する美術館だという。

 200円で入れるし、懐古園の中にあるので、藤村館を観た後に、桜や紅葉をみながら、歩いていると美術館があるのだが、美しいものが好きな人なら入って帰るだろう。

 色は澄んでいるし、観ないで室内で完成させるという油絵も、ある意味削られてオリジナルの世界の風景になって、豪華な日本画のようでもあり、襖や屏風のサイズの油絵は現代風に単純化された洋画になっている。

 新高輪プリンスホテルに巨大な油絵、赤浅間があるようで、金泥をスプレーを使って描いた油彩で今もあるとか。

 小山敬三さんは慶応では理系で、絵の具が落ちない実験をして長い年月に耐える作品を描くのも重要な作家の義務だという。

 美術館も建築家と作品を並べ、より絵が映えるよう曲線の壁なのだという。

 ウィーンで観た建物も自然界には直線はないと、床が凸凹してるのもあって、やはり美術館は始めに絵があって、それに合わせてベストな器を作るのが良くて、始めはもっと小さくて少し大きくしたのだと、美術館の人が説明してくれた。

 とてもイケメンだし、89歳まで生きられたのも幸福だ。

 養女を得て、家族の喜びも作品にある。

 品格やある洗練も幸せの生涯のうみだしたもの。

 今さっき、ボナールの浴剤でお風呂に入ったので、幸福な絵描きの存在も心を温めると思った。

 同じ日、ムンクを観て、ムンクの絵は好きだしあの曲線もあの色もムンク特有の揺らぎないス-パ-スターだけれど、上野からタクシーで六本木の新国立美術館でボナ-ルを観て、ホッとする私がいた。

 結婚をせがまれ、絵のために独身を選んだムンクは、女にピストンで撃たれ左手の中指の半分失い手袋をしていた。

 ボナールは裕福な階層の暮らしの美しさをあるがまま描き、モデルにしてた女性と結婚し、南仏の風景やコテ-ジを描いているが別荘に集まる友人達の語らいも子供たちの戯れも幸せを放っている。

 日本画の影響で平面的な屏風仕立ても花が歓びを溢れさせんばかりに、なぜか生きることが楽しく美しく、フランス人はセザンヌも愛する人をパリにおいて隠して父親からしっかり援助のお金を受けとり画業を完成させるものの愛する人を裏切らないんだなあ。











ミ-トパイ!
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