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3.11 嵐!

 気温は高いが、冷たい雨が強風と共に降っている。

 日本人なら誰でもこの日は一緒に冷たい雨に打たれている。

 私のコテ-ジは道路に出るまで大変。

まだ咳き込みがあるので、道路に出た時にハアハアと肩で息をする。

 それから、少し急ぎ足で森の中を降りて、国道18号線沿いを野尻湖向かって歩く。

 買い物バスが10時5分頃来るのだ。

 娘が迎えに来たとき、私は朝ご飯を食べ終わり長い髪をとかすのに悪戦苦闘していたのだ。

 山の中に住んでいると自然が1番になり美容院になどここ1年くらい行ってない。

 都会が疲れるのは人の目がその一つの原因であって、上から下までジロジロ見られるだけで、ある痛みを感じる。

 難しいのだ。ダサすぎても視線が厳しいが、完璧過ぎても冷たい人の目がある。

 この1メートル近い雪の道をゴム長靴で転ばないよう、潜り過ぎないよう歩くのだが、結構、怪我をして、今日もバスの隣に座った娘に右手中指の傷を見られてしまった。昨晩、コテ-ジに入る時に滑って手をついたのでできたのだが、昨晩は右手が血で真っ赤になっていて洗って絆創膏を貼って一晩寝たら、小さな傷が赤いだけで、治ってしまったのだ。

 春が待ち遠しいと80年代のご婦人が言う。
辛いと思ったら雪国には住めない。

 雪の日はなんて美しいのだろうと思う。

 春になったら雪割草から水仙、チューリップと順に花が咲き、遅めの桜が5月に咲く。

 気がついたら、私は70代!

 人生には痛みが伴う。

 正しいだけでは生きられない、かぐや姫によると「汚れた世」なのだ。

 3.11から1年経った3月10日に父が亡くなった。

 あの時は毎週東京に通い父の家の掃除をしていたので、疲れが出て咳き込みが酷く、父に移したらしい致命的だと治るまで我慢して、ようやく父の家に行ったら、父が咳き込んでいて、主治医が捕まらなかったので救急車を呼び旗の台のかつて入院していた病院入院し、夜8時に東京に住む子供達が集まり、父はにこにこして子供達の話を聞き、大丈夫でしょうと介護士に促され、それぞれ自宅に帰ったあとに11時に危ないと呼び出され、誰も間に合わなかったが、その日のうちに亡くなったのだった。

 92歳。

 葬儀は妹が鹿児島から来るまで待って、浅草の東本願寺に遺体を預かって貰った。

 それで4,5日後に東北震災の一周忌の陸前高田市から帰っきたばかりの僧侶は、「こんなことと言うのはなんだけれど、あなたたちのお父様は長生きされたのでお幸せですよ。私の父は50代でなくなりました。」と話されたのであった。

 父が長生きしてくれて、私も幸せだった。

 絵描きになりたくてなれなかった、土牛のお父様は、病身で死ぬ間際、土牛が立派な賞を受賞して大変喜んだと書いてあった。

 3.11と父の死は私の中でそのように重なっている。

 平成も終わりを迎え、新しい年号を迎えるが、日本人の中にあの震災の記憶は消えない。

 私も一区切り、長い冬に縮こまっていて怠っていた掃除、片付けをして生まれ変わったように人生の終盤を少しはまともに生きたいものだ。

 





 雨でしたが。









 おみかんは「はるか」!



 お掃除中!
 疲れたので休憩!






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