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スカーレット!

 神山清子先生にお会いしたことがあります。

 「乾山」を観に美保美術館にいったときの帰りに、小さな車で客達を歩かなくて良いようにサーヴィスでもよりのバス停まで運んでくれるんです。

 その時に乗り合わせた同年輩と思われる婦人達が、「信楽の神山清子さんの窯を訪ねさいよ。」と言うのです。「迷惑でありませんか?」「大丈夫。迷惑でない!」と言うのです。
 
まだ、明るい時間帯だったので、早速、信楽まで訪ねたのです。

 神山さんは、自宅にいらしたのです。

 日本家屋はシンプルでしたが、陶芸作品が棚に飾られていて、たぶん値もついていたのです。

 黒い茶碗は、清子さんの作品でなく、「それは、主人の。ピカソの真似をして女を作って出ていった。」とさっばり、言いました。

 もうひとつの黒いお茶碗は、「息子の。白血病で死んだ。」と。

 「窯、見たいでしょう?」と、隣接する窯の中にいれてくれました。

 私は、その日は、自叙伝のような本を一冊買いました。

 作品はたくさんありましたが、あまりにも急だったので、作品の見事さに驚きましたが、購入まで至りませんでした。

 作品は、ごろっとしていて、女性らしい作品ではありません。しかし、現代美術としてもとても洗練されていて、見事なものでした。


 東京に帰って、本を読むと息子さんも陶芸家として期待されていて、若い盛りに不治といわれた病にかかり、母親として辛い厳しい試練だったのがわかる。

 やがて、翌年の松屋での個展案内と、田中裕子主演の「火火」と言う映画の案内状が届きました。

 シネ スィッチで、観ました!

 平成15年1月22日



 平成17年、松屋の個展で獅子香炉を買いました❗
 獅子は、狸のようでもありました。


 会場に清子さんはいらしゃいました。
驚いたのは、全く作業着だったことです。












コピーです!

神山 清子(こうやま きよこ、1936年8月2日[1] - )は、日本の陶芸家。日本の女性陶芸家の草分けで、骨髄バンクの立ち上げにも尽力した[2]

人物 編集
1936年長崎県佐世保市生まれ。和洋裁学校を卒業後、陶器の絵付け助手を始める。陶器会社を経て27歳で独立、作陶を始める[3]。途絶えていた古信楽の再現に成功し、自然釉薬を使った陶芸の第一人者となる[4]。

神山が作陶を始めたころは女性が窯場に入ると「穢れる」と言われ、窯焚きをする女性はいなかった。神山の存在は後進の女性陶芸家に勇気を与えた[5]。

神山の長男賢一(同じく陶芸家[6])は、29歳のときに慢性骨髄性白血病で倒れる[3]。神山はドナー探しに奔走し、賢一は骨髄移植によって一時は快方に向かったが、2年後に死去。この経験から骨髄バンクの必要性を訴える活動を始める[5]。現在は「滋賀骨髄献血の和を広げる会」の代表を務めている[7]。

2002年12月、神山の半生を描いた本『母さん子守歌うたって--寸越窯・いのちの記録』が出版される[8]。

2005年1月、『母さん子守歌うたって』を原作とした映画『火火』(高橋伴明監督)が公開される[9]。

2019年9月、神山の半生を参考にして作られるNHK連続テレビ小説『スカーレット』が放送[10]。ヒロインのモデルではないが、神山を深く取材し、神山の子育てしながら作陶する姿を大きく参考にしている[11]。
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