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過去プログをアトランダムに拾って!

2008 11 20
「恩人の死」
彦坂尚嘉さんの「41流アート」のブログで田村画廊と真木画廊を経営されていた山岸信郎さんが11月7日に亡くなられたのを知った。

 以下は彼のブログのコピーである。
田村画廊は、神田にあって1970年前後の、
もの派の拠点画廊という印象が、私には強かった。
床がコンクリートの打ちっぱなしで、
何でも、どうでもできたところが、
もの派には良かったと言えるのではなかったろうか。

私が初めて田村画廊にいったのは、1971年だったのだろうか。
最初のその体験は覚えていて、
画廊いっぱいに新聞紙を積み上げていた作品
だった。誰の作品かは覚えていない。
印象深い作品は、画廊の床を掘った作品で、
清水誠一氏のと、高山登氏がやっている。

私も1973年にフロアイベントmeetアフェクとグリーンという作品を
柴田雅子氏とやっていて、
画廊にラッテックスを流して、外まで溢れ出て歩道を流れて、
パトカーが来る騒ぎになった。

あと、新田村画廊の時に、
ウッドペインティングの57577の作品をやっている。

故・山岸信郎氏は、なかなか個性の強い方であった。
貸し画廊ではあったが、1970年代の一つの時代をになった、
重要な画廊を経営した人物であった。

謹んで、謹んでご冥福をお祈り致します。


☆彦坂さんは今年に「エクリチュール―日本現代美術家の思考 (単行本)」三和書房7720円という本を出版されたばかりの画家であり美術評論家。過去に出された本は
『反覆・新興芸術の位相』(田畑書店1974年刊)
古書/希望価格3万円

 私は個人的に知り合いではないがアーティスト情報が新しく最近行き着いてしまったブログである。同時代であるので考え方が似ているところがある。

☆山岸信郎さんの2つの画廊で個展をしたことがある。
25歳の頃だったと思う。
田村画廊で流異香展「オカルタ」。
私はちょうど、「週刊朝日」の「人」の欄に記載された頃で、山岸さんが私の「易カルタ」を
「オカルト」と「カルタ」を合わせて「オカルタ」と命名してくれたのであった。
次の年に「真木画廊」で個展をした時は「遊び絵」でもう、高島屋デパートで「易カルタ」が独占販売された頃だった。ホテル・オークラの「フランネル画廊」で「豆団扇」を扱ってくれた時で
「豆団扇」や行灯やそんなものを並べた。その時は現代音楽家の「小杉武久」さんがバイオリンの即興音楽を作ってくれてテープで会場に音楽を流していた。

 私は学校を出てから3年間週に3回もお茶のお稽古に通っていて、真木画廊の個展ではいつも着物だった。

 山岸さんの画廊では主にコンセプシャル・アートのアーティスト達が個展をしていて、いつも「皆、作品を個展が終わったらどうするのかなあ。」と思っていた。
この時代は日本橋に「トキワ画廊」銀座に「村松画廊」などがあり、画廊主は若いアーティストたちにとてもやさしくて絵を見に行くと大抵水割りを出してきてくれて銀座に出かけると何軒も画廊を周ったものだ。

☆私は現代美術作家ではないけれどそういう画廊を周っていた。
72年にいまはないけれど京橋の「プリント・アートギャラリー」で個展をして、村松画廊、田村画廊、真木画廊の順で個展をしたと思う。
 バブルの只中でとにかく楽しかった。
 私の場合は街を歩いているとオジサンたちが「お嬢さんは何をしている人なの?」を訊ねるので「絵を描いているのよ。」「どんな絵?」「見たい?」といって持っていた版画などみせると「オジサンが1枚5000円の版画を2枚。1枚1万円で買ってあげるよ。」といって買ってくれ
お抱えの運転手に車で家まで送らせたりしてくれて、本当にそれなりに売れて絵で食べていたと思う。

 母は「娘の話をしていると、銀座を歩いていただけで絵が売れたっていうけれどそんな話あるかしら?」と叔母に話していたそうだ。
叔母はアメリカ大使館に勤務していて社会を母より知っているせいか「本人がそういうのだからあるんだろう。」と答えたそうである。

※関係ない話だが、私はタクシーの運転手から2度ほど「お金はいらないから、もう少し話をしてくれないか。」といわれ3000円くらいを無料になったことがある。そうゆう話術能力も自立した画家で生きることを助けたのかもしれない。

 私の母の祖父は7つのお蔵を潰した絵描きだったので、家では絵描きは「ごく潰し」と称し、絵描きなんかを甘やかしたら家の財産をみんな食われてしまうと学校を出てから1円も援助をしなかったのである。
それで、私の両親は銀座教会で個展をするまで1度も見にもこなかった。つまり、2005年かな?
 私の両親は娘が遊びで絵をやっていて、そのうちに飽きると思っていたし「世の中、そんなに甘くない。」と思っていた。

☆今思うと、本当に恵まれたのは時代である。
アメリカ・カルチャー・センターでジョン・ケージの演奏会があったり著名人の講演会や展覧会が結構あった。
 皆、若かったせいか優しかった。
 「オカルタ」の写真を撮ってくれたのは「原栄三郎」さん。
彼も亡くなられた。お金なんか1円も取らなかった。

☆私のほとんどの仕事は絵を見なくて来た。それで、やってこれたのだ。
アメリカでも50代になってても、普通の格好をしているのにもかかわらず「あなたは有名な絵描きに違いない。個展をするときは知らせてくれ。」と名刺を貰ったことがある。彼は美術評論家だった。
自分で思うに、アーティスト・オーラがあるのだと思う。そうして、見る人には見えるのではないかと思う。
そういえば、アメリカで若いアーティストの女の子が「本物の絵描き」って言っていた。
勿論英語で「True Artist.」と言っていたのだけど、根拠って何だろう?

☆私はとても自由である。
日本に7年のアメリカ滞在から帰ってきた時に「家で個展をしてください。」といわれれば貸し画廊であろうと企画画廊であろうと「はい。はい。」とおおよそ従順だ。
そんなことで格が下がるとか2流だとか3流だとかいうのは世俗的な考えだ。他人に喜ばれることが大事だ。
そうゆう風に自由なのは多分信仰なのだろう。

 山岸さんもとても心の広い愛情深い方だった。
私が「易カルタ」の出版報告をしたときは涎の流れるような優しい顔をしてくれたものだ。
山岸さんの話はボストンでも出たのですよ。同じSMFAで勉強していた「TAKASHI」も山岸さんを知っていた。話題になった時もあった。「山岸さん、アーティスト達が支払いしてくれないで、請求できなくて困っていたよ。」
私がアメリカに滞在中にこの2つの画廊は閉じたようだ。
他のアーティストさんのプログでも山岸さんを称えたブログがあって、今も続けておられるアーティストにとって青春のよき想い出の画廊である。山岸さんは画廊を畳んだ後は美術評論をなさってあちこちの美術雑誌に評論をお書きであった。
1979年には京橋の南画廊も閉じたとあった。

☆懐かしいな。

 るいちゃん、ラディケ、ランボ-とか言って、若い女の子には優しい画壇だった!

 知る時間が間に合ったら、葬儀にも出たかったな。
山岸さん、ありがとう!
とても幸福な青春だった。

お風呂!
ネロリの香り!
あしたも笑って!
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