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ゴッホ 永遠の門。その2.

 「自分は日本にいるのだ。」
 日本と日本人を理想化し、「日本人にならって」兄弟愛に満ちた共同生活を計画し、アルルの「黄色い家」を「ひまわり」等で装飾して、友人誘った。
 ゴ-ギャンが誘いに応じてアルルにやってくるが、僅か2カ月後、ゴッホの精神病の発作による「耳きり事件」で、幕を閉じる。
その後も発作はぶり返し、アルルにいられなくなったゴッホはサン=レミの精神病療養院に入るが、宗教的幻覚、幻聴を伴う発作は止まらなかった!
 1年後、ゴッホはパリ郊外のオ-ヴェール=シェル=オワ-ズに転居。最後の2カ月を過ごすことになる。
 1890年7月27日、ゴッホは銃弾を腹に抱いて血まみれで宿に戻り、2日後の未明、テオに看取られて、亡くなった。死因については、諸説あるがこの映画では少年による他殺説を取っている。
 傷を負った翌朝、警察の訊問で、「誰のせいでもない。」という謎めいた言葉を残している。


❇❇❇❇❇
 縷衣香記

 ゴッホは死後、まるでキリストのように、高められた。

 神は、ゴッホの生き方、絵を最高に評価したのか?

 2004年、私はバルセロナでIAVEの国際会議があったときに、帰りに足を伸ばし、南仏アルルと、パリ郊外のオ-ヴェール=シェル=オワ-ズに行ったことがあった。
 
 それで、サン=レミ精神療養院のゴッホの部屋をみたときに、映画に出てきたお風呂をみたので、首から出してある頭から水をぶっかけて、湯船に浸かるのは想像をしてなかったので、感じ入った。

 ゴッホの部屋の窓から描かれた風景画には鉄格子が描かれてないが、ゴッホの背負った恥や屈辱の厳しさに、永遠の門に向かう精神の精進。

 テオの奧さんのヨ-は、ほとんどの作品と手紙をひきついだが、時期を見て、テオとゴッホの書簡集を世に出した。オランダにあったテオの墓をゴッホの墓の横に移した。
 この女性は夫もゴッホも理解して最良をしたのだ。

 ゴッホの耳きりも、少し量が違うという本を持っている。
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