芸術とお金。


私は、女子美術大学の産業デザイン科グラフィックデザイン専攻を出たので、20代の頃
世はバブルの直中でとても景気の良いときでしたから、学生時代から、皆、あまり経済的
私は、大学の時から働いてきました。世の中の事が知りたくて、楽しくて仕方がなかった
ほとんど大学にきたアルバイト募集が中心でした。
最初は、新宿伊勢丹のバ-ゲン売り場のレジでした。カラ-写真の現像所の結婚式写真の
大学卒業時に、資生堂の中條正義講師に、120点(100点満点)いただいたのですが、
「軽井沢に行きたい。」と言う人の願いを叶えようと、夏の軽井沢のお店の住み込みのバ
伸びないかもしれないが、西武百貨店での個展は、若者向けの1階から地下への壁だった
お能からテ-マを選び、和紙と墨絵の小さなコラ-ジュが中心で、「評判が良いから1週
自由が丘画廊のオ-クションで、「池田満寿夫や靉嘔だって5円から始まったんだぞ。」と
私は世間知らずで、靉嘔の刷り師に200枚のシルクスクリーン版画を刷って貰ったので

1972年、気を良くして、京橋のプリントア-ト・ギャラリーで「占い版画」を発表し
「名あるもの形あるものが信じられなくて、占いの世界をア-トにしてみました」と言う



版画は、毎日デイリーニュース紙に、写真入りで紹介されました。
私は何のバックグランドもないのですが、アメリカ人が何の偏見もなく5人のア-ティス


訳
彼女は、流異と名のっているが、他と異なって流れると言う意味である。(変化の流れ)
未来を占う-手相、占星術、中国暦など。
彼女は、わかりやすく言うと、日本の伝統的和紙をモチ-フにして、巧みに白地に注意深
顔の真ん中の鼻は花となり、発音が同じ日本語漢字となってる。
ルイの作品は、可愛すぎる(超可愛い)。陽気で生き生きとしている。
訳し終わったので、娘に読ませるとヨ-ロッパ的感性で絵の批評に音楽用語を使ったり
punと言うのは、駄洒落なので絵の表現にも使うのかと感心していた。終わり
売れたのは、易色紙と言うミニ色紙サイズの和紙コラ-ジュでした。

易色紙はやがて易カルタとなり、定価の10%の印税をいただきました。二種類出版され
銀座を歩いていたら週刊朝日の記者が声をかけてくれ、記事が出た途端、出版社から電話


豆団扇はホテルオークラの中のフランネルギャラリーで扱って頂き、いつもチェ-スマツ
このギャラリーはアメリカ人の女性が経営していて、篠田桃紅さんのリトグラフ扱ってい







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ファンシ-グッズ!



年賀状は400万枚売れたそうで、道を歩いていると文具屋さんに置いてあったりしまし
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カルタ好き





百人一首は、結婚して娘が生まれる前後に、1年かけて作りました。
実家に子連れで帰り、母親に食事を作って貰い、1日1枚、読み札と取り札200枚を、描
今、思うと嫁ぎ先も実家も総動員して、ア-ト稼業に明け暮れていたのでした。有り難い
頑張った作品は結果も良く、関西NHKで取り上げられ、評論家の先生二人が、尾形光琳
複写写真を要求され、姑が友人に紹介を受け、日本一の有賀写真館に依頼したのですが、信
百人一首は、当時皇太子妃の美智子様への献上品に選ばれ、私がパリ滞在中だったので、姑
パリのカルタ美術館に買い上げられ、常設展示されてます。ロダン、マチス、ドビュッヒ
こういうチャンスはどこから来るのかと言うと、私は、「絵はあげなさい。」と言うアド
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豆本好き。


パリ個展は、百人一首の売り上げで実現できたと思います。
初めは予約価格が3万円だったか38000円だったかの百人一首は、お台場のホテルギ