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ラッピング・ア-ティスト クリストの死!


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クリストとジャンヌ=クロード

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クリストとジャンヌ=クロード (英語: Christo & Jeanne-Claude) は、環境アート作品を作成していた芸術家夫婦である。夫のクリストと妻のジャンヌ=クロードは同じ1935年6月13日生まれである。クリストはブルガリア王国ガブロヴォ生まれ、ジャンヌ=クロードはフランス領モロッコ(英語版)カサブランカ生まれ。夫婦の初対面は、クリストが1958年10月にパリでジャンヌ=クロードの母親の絵を描いたときである。その後、2人は共同で作品を作るようになった。

クリストとジャンヌ=クロード
Christo & Jeanne-Claude
Christo and Jeanne-Claude crop.jpg
ジャンヌ=クロード(左)とクリスト(右)
2005年4月
生誕
1935年6月13日(両方)
ブルガリア王国ガブロヴォ(クリスト)
フランス領モロッコ(英語版)カサブランカ(ジャンヌ=クロード)
死没
2009年11月18日(74歳)

(ジャンヌ=クロード)
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨークシティ
教育
クリスト:国立芸術アカデミー
ウィーン美術アカデミー
ジャンヌ=クロード:独学
著名な実績
環境アート
代表作
Running Fence
The Gates
The Floating Piers
運動・動向
ヌーヴォー・レアリスム
環境アート
受賞
高松宮殿下記念世界文化賞
公式サイト
christojeanneclaude.net
作風
芸術概念の拡張からさまざまな流派や傾向を生み、「アースワーク」「ハプニング」のような、従来の「美術」の枠組みからはずれたものも多い。ランド・アートの作家とされることもあるが、クリスト自身はその作品をランド・アートとみなしていない。こうした活動の美術史的評価はまだ定まっているとは言い難いが、クリストの活動はそれを肯定的に評価するかどうかは別問題として、「芸術とは何か」という問いをあらためて投げかけた点で、後世に記憶されるであろう。


「梱包されたポン・ヌフ」
その「作品」は一言で言えば「梱包」である[注 1]。彼の「梱包」は1958年、日用品の梱包から始まったが、もともとそのころから巨大な建物(後述のライヒスタークなど)や自然や公園の風景全体を梱包するアイデアはあった。1960年代以降、梱包は次第にその規模を巨大化させていく。美術館の建物を丸ごと梱包することにはじまり、オーストラリアの高さ約15メートル、長さ2キロメートルにおよぶ海岸を丸ごと梱包した「海岸の梱包」(1969)など、途方もない作品もある。「梱包」ではない作品には、コロラド州にあるロッキー山脈の幅400メートルもある谷に巨大なカーテンを吊るした「ヴァレー・カーテン」(1970-72)がある。

これらの「作品」はその性格上(布の性質、天候による破損のおそれ、自然に対する影響、担当役所による設置許可期間など)永続することは不可能で、もとよりクリストには恒久展示して永続させる意図はまったくなく(作品は夢のように現れ、夢のように消えて観客の中にしか残らない)、今は記録写真によってしか見ることはできない。見た者は、人工的な色の布で自然の風景が変わることや、見慣れた都会の風景が梱包で一変することに新鮮なショックをうける。もっとも巨大化する一方の梱包や、産業化したクリスト夫妻の作品制作に対する疑問もある。

1973年よりアメリカ国籍を持つ。それぞれのプロジェクトにかかる巨額の費用は、美術館や政府や企業などから一切の援助を受けることなく、プロジェクトの完成を予想したドローイングやコラージュ作品など、クリストの手によるオリジナル・アート作品の販売でまかなっている。また、プロジェクトは毎回、その梱包や作品設置の舞台となる場所の住民・政府官僚などとの許可が必要であり、しばしば反対運動や「これは芸術か否か」といった論争に巻き込まれており、1960年代の構想からそれぞれの実現まで数年から数十年がかかっている。

代表作
プロジェクト(1968年、ドイツ、カッセル])
巨大クレーンを使い、体積5,600立方メートルという巨大パッケージを設置しようとした。ポリエチレンの破損や補修など困難の末、インスタレーションは成功した。作品は2ヶ月にわたりカッセルの町に聳え立ち、25キロ先からも見えたという。
「梱包された海岸」(1969年、オーストラリア)
「ヴァレー・カーテン」(1970年-1972年、アメリカ、コロラド州)
「ランニング・フェンス」(1972年-1976年、アメリカ、カリフォルニア州)
40kmにわたり北カリフォルニアの砂漠や農村を横断し、西の太平洋に至るナイロンの布でできたフェンス。インスタレーションは1976年9月に完成。2週間公開。
「梱包された歩道」(1977年、アメリカ、カンザス州)
「囲まれた島」(1983年、アメリカ、フロリダ州)
マイアミ付近の湾に浮かぶ11の島の周りの海を、島の輪郭に沿ったピンクのポリエチレン布で覆った。2週間だけ存続が許可された。
「梱包されたポン・ヌフ」(1985年、フランス、パリ)
セーヌ川にかかるパリ最古の橋を完全梱包。市当局(市長ジャック・シラク)との交渉に9年をかけ、実現させた。2週間だけの会期中に300万人が見物に来た。

「アンブレラ・プロジェクト」(1991年秋、アメリカ、カリフォルニア州および、日本、茨城県)

お土産として配布された傘の端切れ
太平洋を挟み、カリフォルニアの砂漠地帯に1760本の黄色の傘を、茨城県の水田地帯に1340本の青色の傘を同時期に点在させた。一本の傘の大きさは高さ6メートル、直径約8.7メートルという巨大なもの。1ヶ月弱の会期中に日本で50万人、アメリカで200万人を動員したが、日本は台風シーズンで傘が閉じている日が多く、訪れた観客を残念がらせた。アメリカでの展示中、強風で傘が倒れ、観客1人が死亡、数名が負傷するという事故が起こった。また日本でも撤去作業中に、作業員の男性1人が事故で死亡。
詳細は「アンブレラ 日本-アメリカ合衆国、1984-91」を参照
「梱包されたライヒスターク(帝国議会議事堂)」(1995年、ドイツ、ベルリン)
ドイツ議会(Der verhüllte Reichstag)を巻きこむ長年の論争の末、やっと実現したプロジェクト[2]。放火事件や第2次大戦で廃墟となり、統一ドイツの議事堂になる予定だったライヒスタークを完全にポリプロピレン布で覆い隠した。わずか2週間に500万人を動員。布やロープも既製品ではなく、作品のために織られ、材料費等の直接経費だけで約7億円がかかった。
「梱包された木々」(1998年、スイス、バーゼル)
長年の交渉の末実現。冬の11月から12月まで、バーゼル市の公園の巨木から低木まで178本の木々に銀色のポリエチレン布をまきつけた。大小さまざまな木の形に応じた銀色の塊が公園に出現した。
「梱包されたスヌーピーの家」(2003年、アメリカ、カリフォルニア)
漫画家チャールズ・M・シュルツは1975年に『ピーナッツ』のなかでスヌーピーの家(犬小屋)がクリストに梱包されてしまうエピソードを描いた。これに応えて、25年を経てクリストよりチャールズ・M・シュルツ・ミュージアムに梱包した犬小屋の作品が寄贈され、常設展示されている[3]。
「門」(ザ・ゲーツ)(英語)(2005年、アメリカ、ニューヨーク)
2005年3月、1979年に発案して以来長年の交渉の末、実現。ニューヨーク市・セントラル・パークの木が落葉した2月から3月にかけ、鮮やかなサフラン色の布の門が7503個設置された[4]。このプロジェクトでは企業や市当局の援助はまったくなく、巨額の資金は1950年代や1960年代のドローイングや梱包アイデア図の販売、絵葉書販売などでまかなわれた。

脚注
関連資料










🔑

 美術手帖Web



プロジェクトは続き、ストーリーは残る。クリストインタビュー

ベルリンやニューヨークで建造物などを梱包する大規模なプロジェクトを実現してきた、クリストとジャンヌ=クロード。25年前に行われた「アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」のドキュメンテーション展が、水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催され、当時のプロジェクトやその背景を、クリストにインタビューした。

文=長島確

東京・丸の内の路上にて。撮影の際にクリストは、道路標識や車道を走る車が写真に写るよう指示をした 撮影=稲葉真
展示期間を超えて共生し続けるアートプロジェクト
 アートプロジェクトが巷にあふれるなか、50年以上前から「プロジェクト」を実践し続けているアーティスト、クリストとジャンヌ=クロード。茨城とカリフォルニアの風景に3100本の傘を立てた「アンブレラ」プロジェクトから25年後の2016年、茨城でそのドキュメンテーション展が開催された。

「私たちの作品は2〜3週間程度しか存在しませんが、実現には長い時間がかかります。『包まれたライヒスターク、ベルリン、1971-95』は25年、『ゲーツ、ニューヨーク市、セントラルパーク、1979-2005』は26年かかりました。その過程で、将来の展覧会のために多くのオリジナル作品を手元に残しておきます。いちばん最初のアイデアを描いたものから実現の直前に描いたものまで、プロジェクトの進化を示すドローイングやコラージュです。プロジェクトが終わると、構成物(コンポーネンツ)も集めます。実際に使用したアンカーやケーブル、フック、柱など、あらゆるものです。また、ドキュメンタリー・フィルムもつくります。事後的なインタビューではなく、起こったことの経過を収めたメイキングです。
こういうものをすべて集めて、今回の展覧会は構成されているのです」。

展示風景より。会場には当時使われたアンブレラが展示された 撮影=根本譲 写真提供=水戸芸術館現代美術センター

「アンブレラ」のドキュメンテーション展は、日本とアメリカではまだ開かれたことがなかった(過去にドイツとスイスでのみ開催)。「私たちにとって、ドキュメンテーション展を現地で行うのはとても大事なことなのです」とクリストは言う。

 ドキュメンテーション展の目的は、過去のプロジェクトを伝えるためばかりではない。計画中のプロジェクトの実施許可交渉を進めやすくするため、ということもある。「たとえば『包まれたポン・ヌフ、パリ、1975-85』のドキュメンテーション展は、『ライヒスターク』の許可を取るために行いました。ヨーロッパの都市で行われるプロジェクトの様子を、政治家に見せたかったのです」。

 クリストがドキュメンテーション展で重要視するのは、プロジェクトの「ストーリー」を見せることだ。展示には、多数のドローイングや写真のみならず、地図、図面、手紙、各種申請書、地権者と交わした契約書、作業スタッフ募集の案内など、地道で丹念な準備作業を物語る様々なものが含まれる。 「プロジェクトはすべての許可が取れてはじめて実行に移されます。望まない人に作品を押しつけることはできません。この50年で23のプロジェクトを実現しましたが、その裏では36が実現しませんでした。『ライヒスターク』も『ゲーツ』も『ポン・ヌフ』も、はじめは拒否されました。でも最後には実現できた。何年も何十年もかけて許可を取ったのです」。




 本展で上映された記録映画には、クリストとジャンヌ=クロードが地元の地権者を一軒一軒訪ね歩き、説明する姿が映っている(小学生にまで説明している!)。日本では459人の地権者から許可を取り、その過程で6000杯もの緑茶を飲んだとクリストは笑う。「許可を得ていく過程で、たくさんの、様々な立場の人たちと膨大な議論をする。それによってプロジェクトはアイデンティティーを獲得していくのです」。

アンブレラ 日本とアメリカ合衆国のジョイント・プロジェクト 2枚組のコラージュ 1988 © Christo, 1988 Photo by Eeva-Inkeri
「アンブレラ 6-8マイル、3000本の傘のプロジェクト」のドローイング 1985 © Christo, 1985 Photo by Eeva-Inkeri
プロジェクトは続き、ストーリーは残る
 クリストが時間に縛られず自らの意志でプロジェクトを進められるのは、莫大な資金をすべて自前で調達しているためだ。「1970年代初頭に、法律家と相談して会社を設立しました。私のオリジナル作品を売って資金を集め、プロジェクトを円滑に進めるためです」

 こうした話を踏まえると、「プロジェクト」は「事業」と訳すべきかもしれない。大規模な土木作業を伴い、進め方はビジネスのそれに極めて近い。異なる点は、単独のアーティストが私財を投じて行い、なんら利益を生まず、完成後は短期間で消えてしまうことだ。

「2度と見られないことを知っているから、たくさんの人が見に来るのです。プロジェクトは所有できない、買えない、入場料も取らない、すばらしく非合理なものです。ありふれていない、役に立たない(ユースレス)ことこそが、クオリティーを支えているのです」

 展示期間が過ぎると、ドキュメンテーション展用のアーカイヴを除き、すべての構成物は解体されリサイクルに回されてしまう。クリストは、プロジェクトを残そうとせず、繰り返そうともしない。形としては消えるが、関わった人、体験した人に、語りぐさとして作品は残る。「うちの田んぼに青い傘が立った」「沿道に続く傘を見た」など。ドキュメンテーション展は、ストーリーを語り継ぐ場という機能も持っている。

展示風景より。当時のメモや地図が多数展示された。写真手前は、実際に用いられたアンブレラの台座部分 撮影=根本譲 写真提供=水戸芸術館現代美術センター
 いま進めているのは、「オーバー・ザ・リバー、コロラド州アーカンザス川のプロジェクト」と「マスタバ、アラブ首長国連邦のプロジェクト」だ。前者は川の上に布を張り巡らせるもので、合衆国連邦政府の許可が必要だった。「クリントン政権の時代に交渉を始めたが、ブッシュ政権の8年間はまったく進まなかった。それがオバマ大統領になって、ようやく許可が下りた」とクリストが言うように、プロジェクトはすでに3政権にまたがっている(取材は2016年10月)。後者も、構想の開始は1977年に遡る。これらもまた実現したあかつきには、長いストーリーになるのだろう。

 最後にクリストは、若いアーティストに向けて2つの助言をしてくれた。「楽観的でいること。それから、もっとたくさんの人に会うことです。狭いアート界の外にいる、たくさんの人たちにです」。

(『美術手帖』2017年1月号「ARTIST PICK UP」より)

Profile
CHRISTO AND JEANNE-CLAUDE
クリストは1935年6月13日ブルガリア生まれ。妻のジャンヌ=クロードは同年同日、モロッコ、カサブランカ生まれ。2人は58年にパリで出会ったのち、共同で創作を開始。布で景観や施設を一時的に包むアートプロジェクトに取り組んだ。91年に茨城とカリフォルニアを同時に傘で覆う「アンブレラ 日本=アメリカ合衆国1984-91」を、2016年には浮き橋を布で包み島と島を結んだ「フローティング・ピアーズ、イタリア、イゼオ湖、2014-16」を実施した。ジャンヌ=クロードは09年に逝去、享年74歳。
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