Ruiico (ruiico) wrote,
Ruiico
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皆、それぞれ辛い。
20代の3人の子持ちのシングルマザー。お子様にじゅうぶん食べさせてあげれないのは辛い!

私が20代の頃は美術大生だった頃から、同級生の暴力(学内の)で「結婚するんじゃないよ!」と平手打ちされたこともあって、結婚するとかお母さんになるとは考えられないののだった。 
 ですから、20代で結婚して子供3人って恵まれてますよ。私よりは!

 そして、25.6歳の時は、別の都市に嫁いだ同級生がいきなり私の自宅に来て玄関先で殴る蹴るの暴力を振るったこともありました。

 別に骨を折ったわけではないから警察にも親にも訴えなかったが、私は女子プロレスの選手でもなくて、ただの画家の卵だったのにである。

大学の時に同級生からカツアゲされ続け赤羽のダンボ-ル工場に働きに行ったこともあれば、卒業してから仕事先の経営者にカツアゲされて10日間くらい、真夜中5時間くらい歩いて帰ったものです。20キロくらい。

誰にも言わなかったですよ。

 それと、私自身がそれによって傷つくとか悲しむとか言うことはなくて、美を生きる道だと思ってました。

 画壇でも故秋山祐徳太子の初めての個展の時に、ギャラリーに「ブリキの彫刻を買え。」と言われ、「買えません。」と答えたら、「だったらオ-バ-・コ-トを着るな!」と真冬に言われました。2万円くらいの安物のフェイクの毛皮のコ-トでしたがね。

 当時はbook offが無かったのですが、自由が丘の古本屋では新書は3割引きで買ってくれました。本を売って、沼部の図書館に通い凌いできたものでした。

 誰にも言えなかった。

又、ギャラリーの不道徳は酷く、ただ働きは当たり前舌なめずりするギャラリーは若い世間知らずの娘からカツアゲしてましたよ!(潰れました!)  

 20代で3人のお子様に恵まれたお母さん!それはとても幸せなこと!

大学出たての頃、私の絵を買ってくれた人が私にある50歳の女性のいるお店に連れてって彼女を紹介しました。

 その人は元宝塚で歌ったり、踊ったりした人でお父様は京都大学を出た僧侶で別れた旦那さんは中学の数学の教師で自分の母親を大事にしてくれないので離婚したと言ってました。
 ある時に大倉山の彼女のアパ-トに呼ばれました。冷蔵庫は空で、よくある2階建ての個室の並んでいる長屋風のアパ-トでした。

 彼女は自由が丘の「ジュリコ」と言うアメリカ女性シンガーが経営する「バ-」と言うか「スナック」の雇われマダムでした。

 始めは少し食糧など手渡ししてたのですが、電話を店からかかってきて「家賃が払えないからお金を持ってきて欲しい。」と言うのです。
 実際にトルコ人の女性画家から家賃を借りてました。

 オ-ナ-は時々きて、カウンターに嵌めこんであるピアノを弾いて歌ってましたが、そうでないときはコインを入れて音楽のでるジュ-クボックスで「モナリザ」「嘘は罪」とかが流れてました。

私は自宅で絵を描いてましたが、自宅からその店まで小走りで走って20分くらいで、人が殺されたばかりの「蓬莱公園」の前を通って行くのです。

 それが電話がかかってくるのが、いつも絵が乗りに乗っている夜中の12時頃なのでした。
 母親が「行ってはだめ!」と言うのですが、「家賃が払えなくて困ってるらしい。」と言うと、「そう言うことは坊主か牧師に任せておけば良い。」と母親が言います。「坊主も牧師も来ないのよ。行かなければ。」と、22、3の娘ですから家賃の総額は無理ですが、少しでもと自分のお金をかき集め、走って出向くのでした。
 絵は乗りに乗ってるが、困っている人が救いを求めているのに、無視しても良いのか?と言うのが若いキリスト教徒の考えでした。

 その店はコ-ヒ-はネスカフェの粉を目の前で掻き回して出すのですが500円で、私は「チンザノ」とか「ジンライム」も飲んでました。明け方の5時くらいまで開けていて食事は出さなかったです。
そして、若いボ-イがいてふたりでやってましたが、翌日はその雇われマダムがからだか弱いらしく休むのです。

 彼女はアメリカ人のシンガ-から売り上げが悪いのでいつもクレ-ム電話がかかると英語でやりとりしてました。

 客層は良かったのかもしれません。電話で呼び出されてボランティアできている紳士たちばかりでしたが特別羽振りが良いという人達と言う訳ではありません。

やがて、その雇われマダムはエスカレートしていき、「朝まで居ろ。」とか、お酒をあおってコントロールできないのか唾を吐いて、罵るようになりました。

 たまたま、家の近くだと送って来てくれたマルクス・エンゲルスの大学教授が私の讃美を始めてしまったときに限界を超えてしまったのでした。

 私の母親に嘘の電話をして陥れたのでした。共謀したサラリーマンが定期入れを落としたときに名前も住む場所もみて覚えて居たので、「たまプラ-ザ」の警察に行き、協力を得て住所を訊き、本人の自宅に抗議に行きました。
 日頃、赤い屋根の白い2階屋と言っていた自宅はやとわれマダムよりもっと貧しい長屋でした。嘘をつくひとって居るんですね。

「すいません。酔ってました。」と言うのでした。

 それで終わりです。
 店にも行きません。
 「それだけはよして!」
と雇われマダムも言いましたが、限度を超えてます。
そして、潰れました。


 何でこんなことを思い出したというと、アメリカの黒人暴動と言い、コロナウイルスの流行により、経済的困窮や偏見の不自由が有ることが見えやすくなってるが、いつもあるんだと言うことです。
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