Ruiico (ruiico) wrote,
Ruiico
ruiico





【4月21日 AFP】米財務省は20日、米20ドル紙幣の新たな顔として、元奴隷で奴隷解放運動家のハリエット・タブマン(Harriet Tubman)の肖像を採用することを決めたと発表した。米紙幣にアフリカ系米国人の肖像が使用されるのは初めて


 ジェイコブ・ルー(Jacob Lew)米財務長官は同日、新たな5ドル、10ドル、20ドルの各紙幣のデザイン上の変更点を発表。新10ドル札には、当初変更が検討されていた米初代財務長官アレクサンダー・ハミルトン(Alexander Hamilton)の肖像が引き続き採用されることが決まった。各紙幣の新デザインは、2020年までに公表される予定だ。

 新たな米紙幣のデザインをめぐっては、女性の肖像採用を求める声が高まり、1年以上にわたりロビー活動や世論調査が続けられていた。

 1849年に奴隷生活から脱走したタブマンは、伝説的な奴隷解放運動「地下鉄道(Underground Railroad)」の運営に携わり、数千人の奴隷の逃亡を助けた人物。新紙幣のデザインをめぐる60万人以上を対象とした調査で、1位を獲得していた。

 当初の計画では、2020年に行われる10ドル札のデザイン刷新で、ハミルトンと共に女性の肖像を採用することが検討され、20ドル札のデザイン変更はその10年後に実施される予定だった。

 だが草の根運動団体「ウィメン・オン・トゥエンティーズ(Women On 20s)」が、米国で女性に参政権が与えられてから100年の節目となる2020年に合わせ、女性の肖像を採用した新20ドル札を発行するよう求める運動を展開。ルー財務長官によると、こうした声に応え、20ドル札の表面にタブマンの肖像を採用し、現デザインで採用されているアンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)元米大統領の肖像は裏面に移すことが決定した。(c)AFP
出典:米紙幣に初の黒人 元奴隷女性のH・タブマン、新20ドル札に 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News


,

米紙幣!
20ドル紙幣に黒人女性活動家ハリエット・タブマンの肖像画!

史上初《黒人奴隷解放に尽力》 http://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/160421/wor16042109370010-n1.html

🔑🔑🔑🔑🔑
ハリエット・タブマン(Harriet Tubman、1820年または1821年 - 1913年3月10日)は、アメリカ合衆国メリーランド州ドーチェスター郡出身の奴隷、後に奴隷解放運動家、女性解放運動家。

概要
タブマンは特に、黒人奴隷をひそかに逃がした地下鉄道[注釈 1]の女性指導者のひとりとして知られる[1]。その功績から尊敬をこめて、「女モーセ」「黒人のモーセ」(Black Moses) とも呼ばれた[2]。古代エジプトで奴隷となっていたイスラエル人をカナンの地へ導いた、古代の預言者モーセになぞらえてのことである。

2020年に発行される20ドル札で、アフリカ系アメリカ人として初めてアメリカドル紙幣にデザインされる事が決まった[3]。


来歴
出生 編集
メリーランド州で、黒人奴隷である両親から生まれた[注釈 2]。生まれたときの名はアラミンタ・ロス、通称ミンティ。ハリエットの名は、母親の死後にその名から取って名乗ったものである。5歳からメイド兼子守りとして働きはじめた。1844年ごろ、同じく奴隷であるジョン・タブマンと結婚した。長年の奴隷生活に堪え、奴隷監督からの殴打などを含む虐待に耐えたが、頭部に受けた殴打は後遺症を残し、生涯ナルコレプシーとてんかんに悩まされることになる。


懸賞金公告。ハリエット・タブマンと弟の逮捕者に金を出すという。
逃亡奴隷の懸賞金ポスター。Minty (ハリエットのこと) と弟の名前がある。



奴隷解放運動から南北戦争への従軍 編集
1830年から1865年のアメリカにあった、黒人奴隷を逃がすネットワーク。1850年に奴隷逃亡を助けることが非合法になっても、隠れ家を提供する人々と奴隷を引率する人々が国内の自由州や国外カナダへ脱出させた。
1830年から1865年の期間にアメリカで機能した「地下鉄道」の経路図。実際の列車が走る鉄路ではなく、黒人奴隷を自由州やカナダに逃がす秘密の脱出ルート。食料や衣料品の提供者や、安全な隠れ家を結ぶネットワークが築かれ、「車掌」と呼ばれた引率者が逃亡奴隷を連れて立ち寄った。
1847年、奴隷主が死に、奴隷は売り払われると聞いたことをきっかけに、脱出を渋る夫を残して北部のフィラデルフィアへ逃亡した。その途上、奴隷解放運動主義者で非合法組織である地下鉄道を支援していたクェーカー教徒に助けられた。

フィラデルフィアではレビ・コフィン[注釈 3]やトーマス・ギャレット[注釈 4]、フレデリック・ダグラスやジョン・ブラウンらの奴隷解放運動家と交流を持った。やがて脱走奴隷を助けることを違法化する「逃亡奴隷法」(en) が1850年に成立した。タブマンは、奴隷を自由にする活動をしている人々の組織である「地下鉄道(Underground Railroad)」に加わる決心をすると、地下鉄道の「車掌」としてその運行をはじめた[8]。やがてタブマンの受け持ち路線は当時のアメリカの北の国境へと伸びていった。

後述の自叙伝によれば、1850年から1860年の間に約19回の南部との往復を繰り返したといい、自分の両親を含む300人余りの奴隷の「乗客」のだれも捕まることなく[9]自由に導いたとされる[10]。ハリエット・タブマン自身も一度も捕まらず、「車掌」として成功をおさめ、その活動のリーダー的な存在になったという。そのためタブマンに掛けられた賞金額は合計4万ドルを超えたとされる。しかしケイト・ラーソン (en) の研究によれば、実際に助けたのは13回の往復で70-80人ほどであり、掛けられた賞金も50-100ドル程度という説もある[1]。

1861年に南北戦争が勃発すると、料理人および看護婦として働くとともに、北軍のためのスパイ、武装した斥候をも務めた[8]。1863年夏、タブマンはサウスカロライナ州で解放奴隷に読み書きを教えていたとき、北軍が近くの川の渡し場(Combahee Ferry)を襲撃すると聞いて作戦に加わると、アメリカ史上初の女性指揮官として兵士を動かし、避難した南軍側の地主が置いていった奴隷750人近くを船に載せて北軍領地に移送した[11][12]。このときを含め、軍務においても、タブマンは一度も捕えられることはなかった。「地下鉄道」の「車掌」だった時の経験から、地方の事情に詳しかったため、斥候として高い評価を受けた。

34年後の年金 編集


タブマン夫妻(左の帽子の人物2人)と救出された奴隷。(撮影地はオーバーンのタブマン家と推定。ニューヨークタイムズ、1887年頃[注釈 5]。)
三年にもわたる看護兵、料理人、密偵、斥候としての北軍への従軍は非公式であり文書化されていなかったため、戦後、タブマンが政府から恩給を支給されることはなく、生活は困窮した。1865年、彼女は補償を求めて連邦政府を訴え、また1867年に再度訴えた。最初の申請から34年後の、1899年2月、タブマンが79歳になって未亡人年金という形で年間240ドルが支給されることになった[15]。その少ない年金を元手に、1908年、高齢者と貧困者の家として、オーバーンに木造の施設を建てた。彼女はその家で働き、1913年に亡くなるまでの数年間、そこで過ごした[10]。

権利活動家として 編集
南北戦争が終わり、南部での奴隷解放の後も、黒人と女性の権利のために活動家として講演旅行に出かけるなど活躍した。伝記筆者セーラ・ブラッドフォードの協力を得て、1869年に自叙伝『ハリエット・タブマンの生涯の情景』[16][17]を出版した。これはタブマンの経済的困難[注釈 6]を著しく改善したが、先述のように歴史資料としては誇張や美化も多いとされる。同年、黒人の退役軍人ネルソン・デービスと再婚した。

ジョン・ブラウンはタブマンを「タブマン将軍」と呼び、「この大陸でもっとも勇敢な人物」と評した。フレデリック・ダグラスもまた、「ジョン・ブラウンを除けば、奴隷の逃亡を助けるため、タブマン以上に危険で困難な仕事をした人物を挙げることは出来ない」と述べている[18]。

高齢になると、ニューヨーク州オーバーンにかねて買っておいた家に拠点を構えた。かつて南部から脱出に成功した両親が1859年頃に住んだ家である。合衆国陸軍から少額の恩給が受られるようになり、1908年、この街に施設を建てて身寄りのない元奴隷を住まわせ、その家で働きながら戦死した黒人兵の遺族への支援を続けた[8]。最晩年には自らもそこに身を寄せて、1913年に肺炎で死去。93歳であった。臨終の際には、仲間や助けられた人々、支援者が集まり「スイング・ロウ・スウィート・チャリオット」を歌ったとされる[19][20]。


フレデリック・ダグラスは黒人奴隷解放運動家。自らも奴隷出身だった。
フレデリック・ダグラスも奴隷出身だった。(撮影:Samuel J Miller、1847年-1852年頃)



奴隷制度廃止運動家ジョン・ブラウン(伝Martin M. Lawrence撮影・部分、1859年)


H・タブマン(1868年-1869年頃)


H・タブマン(The New England Magazine、1895年頃)


オーバーン市民が作ったH・タブマン顕彰の銘板。(1914年)


地下鉄道車掌の姿を写したH・タブマン記念像。 (Jane DeDecker制作、ミシガン州イプシランティ。2006年)



21世紀のハリエット・タブマン
新紙幣デザインの計画 編集
2016年4月20日、新紙幣のデザインをめぐる60万人以上を対象とした調査で、タブマンが1位を獲得していた結果を受け、オバマ大統領と米財務長官 ジェイコブ・ルーがタブマンを紙幣のデザインに採用する計画を発表した。2020年に行われる予定の新20ドル札で、タブマンを表面にデザインし、それまで採用されていたアンドリュー・ジャクソンを裏面に移すと発表された。アメリカドル紙幣にアフリカ系アメリカ人がデザインされるのは初となる。当初は2020年に発行される新10ドル札で女性がデザインされ、新20ドル札は2030年発行予定だった。しかし、「女性に参政権が与えられてから100年の節目となる2020年に20ドル札の変更を」という草の根運動により、10ドル札の変更は見送られ、新20ドル札が繰り上げて発行されることに決まった[3]。大統領候補ドナルド・トランプはこの決定を「純粋にポリティカル・コレクトネスだ」と批判的に語った[21]。

5月22日、ティーブン・ムニチン財務長官は偽造を防ぐためのデザイン作成が遅れており2028年までにはタブマンの新紙幣は公開されないと発表した[22]。

2017年1月、トランプが大統領に就任して以降は、タブマンの20ドル札についてのすべての情報が米財務省のウェブサイトから消滅した[23]。

ミュージアム 編集
2019年5月、メリーランド州ケンブリッジにあるハリエットタブマン博物館教育センターに描かれている壁画が話題となった。三歳のアフリカ系アメリカの少女が、博物館の壁に描かれているタブマンの手に自分の小さな手を差しだしている写真が SNS で拡散され[24]、メディアでも話題となった[25]。煉瓦の壁を乗り越え、岸辺の小舟に導こうと手を差しだす力強いタブマンの壁画は、画家マイケル・ロザトの制作中の作品で、小さなミュージアムはこの絵のおかげで入場者が増えたといっている[26]。



参考文献

発行年順
Bradford, Sarah Hopkins (1971). Scenes in the Life of Harriet Tubman. Freeport: Books for Libraries Press. ISBN 0-8369-8782-9
Humez, Jean (2003). Harriet Tubman: The Life and Life Stories. Madison: University of Wisconsin Press. ISBN 978-0-299-19120-7
Clinton, Catherine (2004). Harriet Tubman: The Road to Freedom. New York: Little, Brown and Company. ISBN 0-316-14492-4
Larson, Kate Clifford (2004). Bound For the Promised Land: Harriet Tubman, Portrait of an American Hero. New York: Ballantine Books. ISBN 978-0-345-45627-4
東理夫『アメリカは歌う。―歌に秘められた、アメリカの謎』作品社、2010年2月25日。ISBN 978-4-86182-275-9。
「§5 奴隷制度の鎖を断ち切る : ハリエット・タブマン」『女性実力者の系譜』アメリカ国務省、2015年、11-13頁。

脚注
注釈 編集
^ アンダーグラウンド・レールロード。アメリカ北部やカナダへ黒人奴隷が逃亡するのを援助する秘密結社のこと。
^ 戸籍制度や出生届のない奴隷は生年の記録がない人がほとんどで、タブマンも何年の生まれか諸説あり、ケイト・ラーソンは逃亡奴隷として懸賞金をかけられた時の公告や産婆への支払いその他の歴史資料から1822年生まれ説[4]を、ジーン・ヒュームズは1820年が妥当だが1、2年遅い可能性もあるとしている[5]。キャサリン・クリントンは1825年生まれを説き、タブマンの出生証明には1815年と記され墓碑には1820年生まれとある点を指摘した[6]。
^ レビ・コフィン (en) は1830年代からインディアナ州で商売を広げたクェーカー教徒で、取引のつながりを活用し地域の地下鉄道(英語)を支えた中心人物。
^ トーマス・ギャレット (en) はペンシルベニア州デラウェア郡の裕福な地主の生まれで熱心なクェーカー教徒。父の代のとき不法組織に奴隷としてさらわれた自由黒人を奪い返した経験から、兄弟ともども奴隷解放運動に心を寄せ、自身は特に地下鉄道に深く関与。父の代の地所はほぼアーリントン国立墓地全域を占めたといい、地下鉄道を指揮した当時の邸宅がフィラデルフィア市西郊のアッパーダービーに現存する[7]。
^ ニューヨークタイムズ紙の集合写真に映る左端3人はタブマン一家である。向かって左端のハリエット、その隣が養女ガーティー・デイビス (ワトソン)、杖を握る夫ネルソン・デイビスは第8連隊の退役軍人であった[13]。ついで隣人の子リー・チェイニー、タブマン家の下宿人ジョン・アレグザンダー〈パパ〉、隣人の子ウォルター・グリーン、下宿人サラ・パーカー〈おばさん〉、弟ロバート・ロスの孫娘ドーラ・スチュワート(スチュワートは弟の偽名)。ドーラ・スチュワートの肖像はこの写真のカット違いを加工した例が多い[14]。
^ スパイとしての軍務にも関わらず、政府は南北戦争後30年を経過するまでタブマンの恩給支給を拒否した[8]。

出典
出典 編集
^ a b Larson 2004, p. xvii.
^ “『ハリエットの道』| キャロル・ボストン・ウェザフォード, カディール・ネルソン, さくま ゆみこ” (日本語). (全ページ読める)みんなの声・通販. 絵本ナビ. 2019年7月27日閲覧。
^ a b “米紙幣に初の黒人 元奴隷女性のH・タブマン、新20ドル札に”. AFP BB NEWS. 2016年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月21日閲覧。
^ Larson 2004, p. 16.
^ Humez 2003, p. 12.
^ Clinton, p. 4.
^ “Member Details »Thomas Garrett House” (英語). NETWORK TO FREEDOM. アメリカ国務省 (2010年11月17日). 2019年7月26日閲覧。
^ a b c d 国務省 2015, pp. 11-13.
^ Clinton 2004, p. 192 (引用).
^ a b “女性実力者の系譜-奴隷制度の鎖を断ち切る「ハリエット・タブマン」”. About THE USA|アメリカンセンターJAPAN. 2019年7月27日閲覧。
^ Larson, Kate Clifford (2004年6月25日). “Harriet Tubman's Civil War Campaign (引用元はBound For The Promised Land: Harriet Tubman–Portrait Of An American Hero)”. W.E.B. DuBois Learning Center. 2016年1029日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月26日閲覧。
^ Larson 2004, pp. 212-214.
^ Humez 2003, p. 86.
^ Larson 2004.
^ “Compensation for Civil War Services : Harriet Tubman”. www.harriet-tubman.org. 2020年2月10日閲覧。
^ “Scenes in the Life of Harriet Tubman (1869年発行の自叙伝の英語版全文と挿し絵、参考資料)” (英語). ノースカロライナ大学チャペルヒル校. 2019年7月26日閲覧。
^ ブラッドフォード 1869.
^ Humez 2003, pp. 306-307.
^ Raph 1964.
^ 東理夫 2010, p. 185.
^ CNN, David Wright. “Trump: Tubman on the $20 bill is 'pure political correctness'”. CNN. 2020年2月10日閲覧。
^ Higgins, Tucker (2019年5月22日). “Harriet Tubman $20 bill no longer coming in 2020: Mnuchin says redesign postponed” (英語). CNBC. 2020年2月10日閲覧。
^ “Harriet Tubman Museum Benefits from Viral Photo” (英語). VOA. 2020年2月10日閲覧。
^ “「Lovie meets Harriet ❤ This picture was taken in downtown Cambridge, MD on Cannery Way. This mural is on the back wall of the Harriet…」” (日本語). Instagram. 2020年2月11日閲覧。
^ CNN, Gabrielle Sorto. “The story behind the photo of a 3-year-old reaching out to Harriet Tubman”. CNN. 2020年2月11日閲覧。
^ “Harriet Tubman Museum Benefits from Viral Photo” (英語). VOA. 2020年2月11日閲覧。



関連文献

発行年順
Weatherford, Carole Boston ; Kadir Nelson, “Moses : when Harriet Tubman led her people to freedom”, New York : Jump at the Sun/Hyperion Books for Children, 2006. さくまゆみこ訳書の原書。
キャロル・ボストン・ウェザフォード (文)、カディール・ネルソン (絵)、さくまゆみこ (訳)『ハリエットの道』日本キリスト教団出版局、2014年。NCID BB15739501。(原題:MOSES : When Harriet Tubman led her people to freedom — コルデコット賞銀賞、コレッタ・スコット・キング賞 画家部門の受賞作)
キャサリン・クリントン (著)、廣瀬 典生 (翻訳) 『自由への道 逃亡奴隷ハリエット・タブマンの生涯』晃洋書房、2019年03月10日。ISBN 9784771031463
上杉 忍『ハリエット・タブマン 「モーゼ」と呼ばれた黒人女性』新曜社、2019年03月15日。ISBN 9784788516083
池田まき子 (著) 『自由への道: 奴隷解放に命をかけた黒人女性 ハリエット・タブマンの物語』学研プラス、2019年5月28日。ISBN 978-4052049125
研究書、論文 編集
著作者の姓の50音順
岩本裕子「2016年夏におけるアメリカ黒人女性の諸相 : ハリエット・タブマンから「カラー・パープル」まで」『浦和論叢』第56号、31-66頁、2017年2月。
Conrad, Earl (1943). Harriet Tubman. Washington DC: Associated Publishers. OCLC 08991147
コンラッド、アール「ハリエット・タブマンの半生-上-」山田拓男 (訳)、『部落』第12巻第4号、34-44頁。1960年4月。ISSN 0287-7740
コンラッド、アール「ハリエット・タブマンの半生-中-」山田拓男 (訳)、『部落』第12巻第5号、54-61頁。1960年5月。
コンラッド、アール「ハリエット・タブマンの半生-下-」山田拓男 (訳)、『部落』第12巻第6号、34-43頁。1960年6月。
佐藤晴雄「モーセと呼ばれた「男」--ハリエット・タブマンの少女時代」『武蔵野英米文学』第39巻、29-43頁。2006年。ISSN 0388-6662
栩木玲子「ハリエット・タブマン (1820?-1913) : 黒人たちのモーセ」「国境を越えるヒューマニズム」鈴木靖 (編著)、法政大学国際文化学部 (編)、『国際社会人叢』第1巻、2013年3月。 NCID BB12142590
皆河宗一 (編訳)「ハリエット・タブマン」『アメリカ黒人の民話』、東京:未来社〈世界の民話〉第6巻、203-218頁。1960年。doi:10.11501/9543702。
宮津多美子、黛道子、中村安子「アメリカン・デモクラシーの実現を目指して--19世紀改革期のパイオニア女性」『医療看護研究』第7巻第1号、21-34頁。2011年3月。
ヨスト、エドナ「§7奴隷解放の勇者—黒人女性 ハリエット・タブマン(1820-1913)」『輝く女性たち』 浅田孝二 (訳)、東京:新紀元社〈パイオニア物語〉 、93-107頁。1964年。doi:10.11501/2983462。
Raph, Theodore (1964). The American Song Treasury: 100 Favorites. Courier Corp.. ISBN 978-0486252223 臨終の場で合唱した歌のエピソード
音楽その他 編集
スティーリン・ホーシズ「(4) ハリエット・タブマン」『スティーリン・ホーシズ』、東京:BMGファンハウス〈アリスタ〉、1988年9月。録音ディスク 1枚 : CD ; 12cm。
ケイト・テイラー「(3) ハリエット・タブマン」『ケイト・テイラー』、東京:ソニーレコード〈ソニーSRCS-645〉、1995年3月。録音ディスク 1枚 : CD ; 12cm。

関連項目
Harriet Tubman National Historical Park (en) ハリエット・タブマン国立歴史公園
Harriet Tubman Underground Railroad National Historical Park (en) ハリエット・タブマン地下鉄道国立歴史公園
Harriet Tubman Day (en) ハリエット・タブマンの日。3月10日をあてるとメリーランド州とニューヨーク州で法制化された。
Harriet Tubman Press (en)ロヨラ・メリーマウント大学内のアフリカ系アメリカ文学の出版社。
オペラ Harriet, the Woman Called Moses (en) 1985年初演。スコットランド生まれの作曲家テア・マスグレーブ (en) 制作。

外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、ハリエット・タブマンに関連するカテゴリがあります。
英語版ウィキソースにハリエット・タブマン著の原文があります。
ウィキクォートにハリエット・タブマンに関する引用句集があります。
資料集
Harriet Tubman: Online Resources アメリカ議会図書館オンライン資料集(英語)
Scenes in the Life of Harriet Tubman 1869年発行の自叙伝の全文。ノースカロライナ大学チャペルヒル校(英語)
Harriet Tubman Web Quest: Leading the Way to Freedom – Scholastic.com(英語) 学習参考書の出版社スカラスティックのウェブサイト
H・タブマン伝記
Harriet Tubman Biography Page Kate Larsonによる伝記(英語)
Michals, Debra."Harriet Tubman"(英語) 伝記、国立女性史博物館、2015年。
Maurer, Elizabeth L. "Harriet Tubman".(英語) 伝記、国立女性史博物館、2016年。
記念館、記念の施設
Tubman Museum of African American History(英語) H・タブマン記念館。アフリカ系アメリカ人の歴史を伝える。
Harriet Tubman National Historical Park(英語) H・タブマン国立歴史公園
Harriet Tubman Underground Railroad National Historical Park(英語)H・タブマン地下鉄道国立歴史公園
最終編集: 3 か月前、61.21.153.138
関連ページ
Subscribe
  • Post a new comment

    Error

    default userpic
    When you submit the form an invisible reCAPTCHA check will be performed.
    You must follow the Privacy Policy and Google Terms of use.
  • 0 comments