娘が小学生だったかな?
オルコットの家に売っていた!
今日から地下の片付け!
母親から捨てられたと思っていた住所録!
ニューヨ―クのジャパンソサイティ会長の名刺ともある!
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ロイヤルコペンハ―ゲンの飾り皿。
母がくれたのだと思うが。
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ウェディングのときのヴェ―ル迄出てきた!
とても長いです!
スペイン製。
母がくれたのだと思う。
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猪熊弦一郎
概要
「アートというものは、心のヴァイタリティーの一つの薬みたいなものですね。それを大
猪熊弦一郎(1902-93)は、生涯を通じて、美を愛し、美を探究し、美をあらわそ
本展では、当美術館が長寿命化のための改修工事を経てリオープンするこの機会に、初心
*対談:猪熊弦一郎、盛田良子「絵かきは長生きしないと」
『味の手帖』1982年9月号より
猪熊弦一郎自身がどのように暮らしていたかをご紹介するため、旧猪熊邸の台所と居間を
・猪熊弦一郎がプライベート空間に提供した美が、実際に人々の暮らしを彩っている実例
・猪熊弦一郎が公共空間に提供した美として、4つのパブリックアート(慶応義塾大学壁
◎作家プロフィール
猪熊弦一郎 / Genichiro Inokuma(1902-93)
1902 香川県高松市生まれ。少年時代を香川県で過ごす。
1921 旧制丸亀中学校(現 香川県立丸亀高等学校)を卒業。
1922 東京美術学校(現 東京藝術大学)西洋画科に進学。藤島武二教室で学ぶ。
1926 帝国美術院第7回美術展覧会に初入選。以後、第10回、第14回で特選となるなど、1
1936 志を同じくする伊勢正義、内田巖、小磯良平、佐藤敬、三田康、中西利雄、脇田和、鈴木
1938 フランス、パリに遊学(1940年まで)。アンリ・マティスに学ぶ。
1940 パリの戦火を逃れ、最後の引き揚げ船となった白山丸に乗船し帰国する。戦時中は従軍画
1947 小説新潮の表紙絵原画を描く(1987年まで)。
1949 慶応義塾大学学生ホールに壁画《デモクラシー》を制作。名古屋丸栄ホテル大ホール壁画《愛
1950 三越の包装紙「華ひらく」をデザインする。前年制作した慶應義塾大学壁画《デモクラシ
1951 国鉄上野駅中央ホールの大壁画《自由》を制作。
1955 再度パリでの勉学を目指し、アメリカ廻りでの世界旅行を計画、日本を発つ。途中立ち寄
1956 ニューヨークのウィラードギャラリーで新作個展を開催。以後、同ギャラリーの所属作家
1958 香川県庁舎の陶画《和敬清寂》を制作。
1971 吉村順三設計による「田園調布の家(猪熊邸)」が完成する。東京會舘本舘ロビーのモザ
1973 日本に一時帰国中、病に倒れる。
1975 ニューヨークのアトリエを引き払う。その後、冬の間をハワイで、その他の季節は東京で
1984 上野駅壁画《自由》が修復される。
1988 慶應義塾大学壁画《デモクラシー》が修復される。
1989 丸亀市へ作品1000点を寄贈。
1991 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館が開館する。
1992 所有するすべての作品などを丸亀市に寄贈する趣旨の文書提出。以降、順次丸亀市猪熊弦
1993 東京にて死去。90歳。
2002 上野駅壁画《自由》が修復される。
2019 東京會舘が改築され、新本舘に修復されたモザイク壁画《都市・窓》が設置される。電灯
関連プログラム
◎親子でMIMOCAの日
2020年6月21日(日) 10:00-18:00(入館は 17:30 まで)
高校生または18歳未満の観覧者1名につき、同伴者2名まで観覧無料となります。
関連情報
◎プレスリリース【猪熊弦一郎展 アートはバイタミン】
◎プレスリリース【美術館リオープンと新型コロナウイルス感染症対策について】
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企画展
猪熊弦一郎展 アートはバイタミン
猪熊弦一郎邸
父の家
猪熊弦一郎さんは田園調布に住まれていたのですね。
私は知らなかったのですが、建築作品集が家にあって同じ大工さん、建築士だったお陰で
私の家が1966年、猪熊さんのご自宅が1970年建てられたので、椅子等同じ北欧の
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お昼!