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NHK Web News
長野県 新たに3人感染確認 20~60代 新型コロナウイルス
2020年8月4日 13時04分

長野県 新たに3人感染確認 20~60代 新型コロナウイルス
長野県では上田市に住む公務員など、男女合わせて3人が新たに新型コロナウイルスに感染していることが確認されました。

長野県内の感染者は合わせて122人となりました。
長野県によりますと、新たに感染が確認されたのは、上田市に住む公務員の60代の男性と、いずれも松本市に住む自営業の40代の男性、20代の女子学生の合わせて3人です。

3人はいずれも入院していますが、症状は軽いということです。

このうち上田市の公務員の男性は、先月25日にけん怠感などの症状が現れ、すでに感染が確認されている同じ上田市内の女性らと複数で会食をしていたことから、検査したところ、3日、感染が確認されました。

職場で不特定多数の人との接触はないということですが、少なくとも家族と職場の同僚、合わせて4人が濃厚接触者になっています。

また、松本市の自営業の男性は不特定多数の人と接触する仕事ではないほか、松本市の学生は発症する前後で学校には行っていないということです。

この2人については家族に濃厚接触者がいますが、県はほかにもいないか調査を進めています。

これで長野県内の感染者は合わせて122人となりました。
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美術手帖Web

丸裸にされた「美術なるもの」の実態とは何か。成相肇評「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」展
共同体パープルームを主宰するアーティスト、梅津庸一のキュレーションによる企画展が、日本橋三越本店内のギャラリーで開催された。ステートメントによれば、「造形」の変遷を軸として、日本における「美術なるもの」にまつわる魔術性や禍々しさに言及することが本展の狙いとされている。はたして会場で剥き出しにされたものとは何か。東京ステーションギャラリー学芸員の成相肇が分析する。

成相肇=文


展示風景より。会場は5つのパートから構成される。写真はPart1「瘴気とフィルター」に展示された梅津庸一作品。手前が《花粉濾し器》(2019-20)、右奥が《フル・フロンタル》(2018)   Photo by Fuyumi Murata
国家の尾てい骨
 本展主宰者の梅津庸一の作品群がまず来場者を出迎え、分け入れば若手作家が、日本美術史上の著名作家が、いわゆる団体展系の作家が、日曜画家が──そうした帰属を誇張するように──入り混じる。展示冒頭、国家元首(?)たる梅津はこの百貨の様相について次のように述べる。「日本という場所は大陸から渡って来た人々の吹き溜まりと言える」「いまや『現代アート』は全体を把握することが不可能なほど膨張したプラットフォームとなりつつあり、様々なクラスタがなんとなく軒を連ねるだけのたんなるフードコートのような場所になってしまった」(本展ステートメント「小さな独立国家の構想画」より)。

 揶揄めいた論調ながら、その言葉は、日本を「吹き溜まり」ならぬ「あいついで寄せてきた東方の思想の波が[…]波跡を残して行った浜辺」と呼び、「フードコート」ならぬ「貯蔵庫」になぞらえたあのテクストを思い返させずにはいられない。

 かくのごとくにして、日本はアジア文明の博物館となっている。いや博物館以上のものである。なんとなれば、この民族のふしぎな天性は、この民族をして、古いものを失うことなしに新しいものを歓迎する生ける不二元論の精神をもって、過去の諸理想のすべての面に意を留めさせているからである。

[岡倉天心『東洋の理想』(1903)/講談社学術文庫版(1986)より引用]


展示風景より Photo by Fuyumi Murata
 上述の現状認識を踏まえて雑多な展示をまとめ上げた梅津と、岡倉の日本=博物館論はじつによく似通う。さらに元首挨拶の向かいには、古雑誌から引用されたアルフレッド・バーJr.の有名なチャートの出来損ないのような美術史展開図が掛かる。美術史モデルで国家戦略を描いた岡倉とバーの2人の同根の思想を論じるのは柄谷行人「美術館としての歴史」(1994/1999)だが、本展の筋はまさにその思想を露悪的に崩すような格好になっている。露悪的であることは良い。ただこれでは、例えば東京国立近代美術館の常設展を連想させる「景色の良い部屋」の章題のもとに横山大観の富士図を見せる挑発らしい構成も、挑発として空転しないだろうか。

展示風景より、正面奥がPart4「景色の良い部屋」の展示室 Photo by Fuyumi Murata
 梅津の言う「未分類の雑多」を集めてフル・フロンタル(全裸)なフロンティアに立つという言明は、だから明治日本の、あるいは第二次大戦前夜のアメリカの、美術政策の反復であるのだが、しかしなんと「小さな」反復だろうか。批判というより僕は、ドメスティックな美術評価システムを繰り返し批判してきた梅津が、それにかかずらう内に当のシステムの花粉を吸い込みすぎていまいかと不安なのである。本展会期中に同フロアで個展を開催していた日本画家と悶着を起こしたというその騒動もまたネーションをめぐる「小さな」覇権争いであり、黒田清輝の作品を下敷きにした作品で知られる作家と岡倉が庇護した日本美術の末裔が火花を散らすというのはあまりに皮肉だ(むろんこれは、当の問題の焦点となっている差別の有無とは別の話だ)(*)。会場入り口に吊り下げた旗に記す「聡明なあなたの紡ぐ美術史を阻害するお仕事」が「阻害」であるかぎり、沼にはまり込む一方ではないか。その「あなた」とは、言説闘争の相手とは、誰なのか。​


展示風景より、梅津庸一《昼ー空虚な祝祭と内なる共同体について》(2015-20) Photo by Fuyumi Murata
​ 本展のミッションとして掲げられた「既存の美術史の問い直し」が実現しているとは思えないが、展示ないし作品形式の点では梅津が培ってきた技量が大いに発揮された。会場にいるあいだ、人がやって来るたびにすべて梅津が自ら出向いて迎え、声を掛け、パンフレットを渡す姿──スーツの会場スタッフは動かないのに対して──が印象深い。企画料も施工費も出ないという、作家側がほぼ一方的にリスクを負う条件(これが百貨店の通例かは知らないが、この仕組みが上記の騒動の根にあるようにも思う)と聞いたのだが、このような貧しさをおそらく持続的に経験するなかで、梅津(ら)は独自の展示造作術を開発してきた。カラフルな旗、拡大印刷、手書きのレタリングによる作品番号、彩色された台座、格子状の仮設壁。本展を「国家」たらしめている本体は、作品に近似しつつ作品でないこれら造作物にほかならない。そして何より順路を規定し展示効果を高めているのは、屏風や立てかけの形態によって仮設壁の機能をビルトインした梅津自身の作品である。​





先にふれた柄谷の論が説く通り、美術館の展示における空間的な配列が政治的な歴史記述そのものであるとして、実際の展示でそこに抑揚をつけ意味を補強するのはディスプレイの造作である。梅津が過剰な造作を採用し、自ら屏風など組物のメディアを選ぶのは、ゲリラ的かつ経済的に領土を形成するためであると同時に、最小の「国家」としての作品にあらかじめ展示内でのヘゲモニーを先取りさせておく方途であると言えるのではなかろうか。これから梅津が本展で掲げた構想を先鋭化させるなら、きっとそれに伴って彼の作品はますます造作的な要素を肥大させていくだろう。すると、かつて家具調度品の一部だった記憶を、表具という尾てい骨として保っている日本画が、またしても召喚されることになるのだが。​
🔑
Information
フル・フロンタル 裸のサーキュレイター
会期:2020年6月10日〜29日(終了)
会場:日本橋三越本店 本館6階 コンテンポラリーギャラリー
住所:東京都中央区日本橋室町1-4-1
アーティストで共同体「パープルーム」を主宰する、梅津庸一によるキュレーション展。日本橋三越本店が運営する美術スペース内に、この3月新設された「コンテンポラリーギャラリー」を会場とする。展示室を「瘴気とフィルター」「視線のエネルギー。見る・見られる。」「ダークファンタジー」「景色の良い部屋」「不定形の炎症」の5つのパートにわけ、39作家の作品を展示。梅津庸一が主宰する「パープルーム」のメンバー(シエニーチュアン、わきもとさき)や、星川あさこ、山田優アントニ、COBRAら現代アーティストの作品と、長谷川利行、高山辰雄、瑛九、青木繁、横山大観ら近代日本美術史に名を残す作家の作品を混合し、テーマに沿って再構成。時代やジャンルを超え、あえてキャプションを付けずに新旧の作品を並列する展示法をとった。
[編集部注]
*──本展会期中の6月27日、同フロアで個展「吉村誠司 日本画展 浮遊」を開催していた吉村誠司が「フル・フロンタル」展に来訪。その際に、出品作家らに対してなされた差別的な発言に対し、梅津庸一らが抗議の意を持って吉村展会場を往訪。その際の状況について梅津は抗議文「吉村誠司氏の問題発言と行動について」と題して記述し、6月30日、Twitter上で公開した。その後7月14日付けで本件についてアーティストのHou Xo Queから、株式会社三越伊勢丹に公開質問状が提出され、それに対して7月24日、同社から回答がなされている。






🔑黒瀬陽平とカオスラのハラスメント、被害者が告発
合同会社カオスラの代表社員を務めていた黒瀬陽平と、カオスラ関係者によるハラスメントを被害者の女性が告発した。

ハラスメントを告発したnote
 合同会社カオスラの代表社員を務めていた黒瀬陽平が、ハラスメントを行っていたとして退任した件で、被害者の女性が詳細をnoteで公開した。

 noteのなかで女性は、黒瀬によるセクシュアルハラスメントおよび、カオスラによる組織的パワーハラスメントとその隠蔽について詳細を時系列で執筆しており、「私は美術業界で二度とこのようなことが起きぬよう事実関係を公表する必要があると判断し、こうして私個人の判断で公開する」としている。

 今回の件が発覚したのは7月23日。株式会社ゲンロンが「ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校」の事業において、「重大な契約違反を確認」したとしてカオスラとの契約解除発表。その翌日、カオスラは黒瀬によるアシスタントスタッフへのパワーハラスメント行為があったとし、退任を発表していた。

 カオスラ側は、ハラスメント行為について調査委員として弁護士を着任させ、詳細を調査する意向を示しているが、ハラスメントへの加担を認めたアーティスト・藤城嘘が代表社員のひとりとして名を連ねているという状況だ。はたしてこのような構造で公平な調査が行うことはできるのか、大きな疑問が残る。

 本件のような事例が後を絶たない一因として改めて考えたいのが、圧倒的男性優位の美術業界の構造だ。日本の美術界では、美術館の収蔵作品においても男性作家の作品が圧倒的に多く、またポジションでも館長クラスでは男性が8割以上を占める。今回の黒瀬およびカオスラによるハラスメントは巨大組織のみならず、小規模な場においても美術業界では男性が圧倒的に優位である、という現実を突きつけた。

※美術手帖では、美術関係者の論考を通してこれからあるべき「ジェンダーフリー」のための展望を示すことを目的としたシリーズ「ジェンダーフリーは可能か?」を2019年6月から12月にかけ連載したが、そのなかには黒瀬がインタビューに応じた回(現代の作家は「ジェンダー」に応答できているか? 美術家・黒瀬陽平インタビュー)もあった。今回の件は黒瀬がインタビューに応じた時点でも進行していたが、インタビューに応じた事実を残す必要性はあると判断し、記事の削除等は行わない。






鰤!

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