Ruiico (ruiico) wrote,
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結婚生活!

 お正月は結構暇があるので「発言小町」を読んでいると、世間の常識に感心した。

 そして、長い間疑問だった私の考えはそんなにおかしくないことが分かった。

☆例えば、お祝儀のこと。(今さら遅いですが)
 普通の家である私たちはたぶん招待客80人だったし、主人側の方が多かった。

幾度も断り、泣いて嫌がったが私以外が全部賛成と言う結婚のため、これも犠牲と同意。

姑に土下座された。私の母と末の弟はたぶん深い愛故だったと思いたいけれど、最後は殴られて(我がままだと)、結婚しなくてはいけないのかと思った。二人とも35歳で、同級生だった。私が好きになった人はすべて親の反対で壊された。主人は横暴な母親が唯一気に入った人だったのである。末の弟からしてしてみれば、独身でいるよりは幸せになれると思ったのかもしれない。
 
 結婚する気のなかった私の人生感のため、私は結婚式も必要ないと思っていたほどそういうものにはこだわらない方。

 それで、結婚式の祝言に「奥さんを苛めないように。」と言うのが6人の上司からあって、(今さら知ってもね。)と驚いた。最後に舅から「諸先輩の方のおっしゃる通り、奥さんを苛めないで欲しい。」で終わった。

 母は「離婚して家に恥をかかせたら許さないからね。」と言い、父は「いやだったら、帰っておいで。その時はもって行ったお金も持って帰るんだよ。」と言った。

 お祝儀の方は私の家の親戚の方は30万円単位で数段おおかったが、疑問なく主人の口座に入った。

 発言小町の常識では、祝儀はそれぞれの親戚の分はそれぞれに行くと言うのが多かった

☆次の発言小町では「夫の家に同居というのは奥さんに負担が多いのだから、思いやらなければならない。」というのが100%だったが、養子縁組4代も続いた主人の家では、そんな感性はない。
いかに家の存続に有利な結婚相手を騙してでも連れてくるのかが課題で、どうして主人の父親を養子にしたかは自慢だ。エリートで名門の出なので普通なら養子に来てくれない人だったと言うが、恩を売って、つい主人の父親が「どうしてお礼をしたらいいか?」と訊ねてきたら「息子さんを家にほしい。」と言うのが大変賢いやりかただったと聞いた。

 私も主人と結婚して、始めは大姑が生きていたので同居はできなかったが、彼女が亡くなった後すぐ新築して同居になった。その前も歩いて2分くらいのマンションだから毎日主人は実家に通っていた。

 私は毎日のように、主人の姑から家の格差について言いきかされていたので、始めは主人の家の周りを歩くのも大変なプレッシャーで道の端を歩いていたくらい。

 4代も婿養子の家なので、周囲はみな主人の家を知っており、私は着ているものから髪の形も観られることを意識して出かけなければならなかった、そのために実家も衣服をずいぶんそろえてくれたし、美容院は都ホテルと言う具合にとにかく、主人側の申し出にすべて添った。その頃、主人は収入20万円にも足らなかったので、さすがに生活はできず、当然のようにマンション代は姑が出した。土下座した責任と言うのか、その件に関しては実家は褒めていた。

 今は主人の姑と同居しているが、思いやりと言うのは無い。
 昨日も義理の弟嫁と食事のときに話していて、「主人はとにかく『ありがとう』っていったことがないのよ。私の父に困ったときにお金を4度も100万円づつもらっていながら、1度たりともお礼に挨拶に行くこともないのよ。91歳の父の介護を1度くらいすべきじゃないと私は思う。姑に言ったら『そういうふうに育ては覚えはない。』というけど。」と言ったら、義理の弟嫁は「うちの主人も『ありがとう』と言ったことないです、やはり、そうゆう風に育てたのはないでしょうか?」と笑った。

 父は1度も嫌な顔をせずに、100万円を金庫から持ってきて出してくれた。それも頼みに行かせるのは私で主人は顔も見せない。それで、申し訳ない思いで、私も父にはできるだけの親孝行をしているのだ。

 私が雅子様に非常に同情をしているのは、雅子さまもずいぶん断ったのだと思う。それでも、自分が犠牲になればと言う優しさが結婚に同意したのだと思う。

 私もそうだったが、精神をやられてしまうのだ。

 私は2歳にもならない娘を連れてパリに個展に行った。
 その時は、本当に幸せだった。
 私の父は凄い人で、貧しかった主人に80万円渡して、「娘と孫に会いに行って欲しい。」と言った。
夏休みのある仕事なので、主人は2カ月くらい来たかな?
 そして、パリの個展でフランス人から5つくらいの仕事のオファーがあった時に、「1日たりとも個展を終えてパリにいてはいけない。」と言うので、日本に帰りすべてをキャンセルした。

 姑も実家の母と個展のときにパリに来たが、見張りだったのかな?

☆また、「姑の干渉」と言うのも発言小町には多い。
 同居していたら全部ですよ。
 姑は義理の弟の子が障害があったせいか、私の子供の出産後の定期健診にはすべて付いてきた。
 少しでも体重が減ると「しっかりなさい!」と叱咤。
 私の実家で雇ってくれたお手伝いさんも連れて3人で病院行くので、私も「なんだか大げさだ。」と思ったが何もさからえない。職業や家庭でもありとあらゆる上の立場でいる姑には人の上にいた経験しかないので、すべて命令調である。

 家も土地も姑が出して新しい家に同居した。
 家具やカーテン類は私の実家が出した。
 婚家に恥をかかせては申し訳ないと、プロのコーディネーターに海外の家具屋から最高のものを揃えてくれた。

 姑は次の干渉は子供の学校である。
 姑自身、日本の女子の最高の名門を幼稚園から高校まで通っているので、そのレベルのものを要求された。私は主人と公立小学校であっているので、公立小学校出である。ですから、その世界は初めて。

 「逆らう?」
 そんなことはできるわけはないですよ。
 毎日、「〇子さ~ん。」と言った時には鍵を開けて私の家の台所にいるんですから。

 私の実家も総協力で、子供の塾通いには実家の母も手伝い、主人も手伝い、姑は何もせず、私は体力の限界まで家勤め。それと結構お金がかかるのだが、それはすべて実家。何しろ主人の収入は20万円しかないのだから。

 私の実母はとにかく主人ファンなので、それには惜しげが無いのである。実父も私が主人の両親と同居して偉い偉いと言いながら、お金では援助の限り。ピアノもお雛様も人間国宝のを買ってくれましたよ。

☆しかし、あまりにも姑の家の価値観(舅はいたが、非常におとなしい人で何も干渉もせず介入もせず、思いやりのある人だった)と私とは違うので、無理が重なったのか私は姑が強制的に入れた娘の幼稚園で娘が男の子に首を絞められた事件をきっかけに、倒れ歩けなくなった。

 とにかく、この家では誰も「思いやり」が無いので、「皆が歩いているのになぜ君は歩けないの?」
と言う主人や、自分の後輩である幼稚園園長に憤懣やりかたない姑の中で、とにかくご飯も喉に通らず私は7キロやせた。そうして、私はその幼稚園を皆の反対を押切りやめた。

 4年保育だったので、1年半でやめて半年寝込み、教会付属の2年保育の幼稚園に移っても困らない状況だった。

 実家では私はこのまま死んでしまうと思った。
 とにかく起きれないのである。立つとめまいがして倒れてしまう。
 医者にも通わず看てもらった記憶もない。
 10か月のパリ個展のためのパリ滞在の疲れなども全部出たのであろうか?

 とにかく、ここの結婚先の家の私への注文は多く、嫁が疲れるとか倒れるとか逆らうと言うのか考えられないのである。

 私が雅子様に同情するのもこのような経験があったからこそ。

☆私がようやく、姑の専制家庭に造反したのはこのときである。
 主人はまるで当てにならないので、小学校は姑の出身校を拒否して一生干渉させないために、よりグレードアップを考慮して1点に絞った。公立に入ると首を絞めた少年と同じクラスになる確率が高いので避けるのには私立でしかない。

 半年の受験体制に、いつまでも寝ていたら子供が一生地獄から這い上がれないとようやく起き上がれたのは年長組になった4月で、倒れてから2年弱経過していた。

 不思議とエネルギーが少しづつ回復して半年の受験勉強で娘は合格した。
 
 舅と姑と実家の両親で都ホテルで会食。めでたしめでたしとなった。

☆やはり、姑の干渉と言うのは良くないし、離婚になるのがわかる。
 また、結婚してからわかった嘘と言うのは多い。
 姑の話だと翌年には地位が上がり給料も上がると言う話だったが、現実にあがったのはアメリカに行った娘が小学5年生のとき。

 それで、私は主人にアルバイトというか空いてる多くの時間を働くように勧め、彼も世間を知るようになった。

☆私が本当に体力を回復したのはアメリカに行ってからである。
 アメリカ生活はそれなりに大変だったが、娘に言わせると「ママはアメリカに行って元気になった。」と言う。
 姑と同居は、かなり仲良くやっている家でも、他人のお嫁さんにどれだけ負担をさせているか?

☆そうして西原恵理子さんの「いのちより大事なお金のはなし」と言う本でもしかり、「お金がずいぶんいろいろなことを解決してくれる」のだ。

 主人が20万円に収入しかないのは結婚してから知ったが、実家にお金が無かったら、奴隷化はより進んでいただろう。実家は週に3度お手伝いさんを雇ってくれて、私の子供の塾通いに家の中が荒れるのを防ぎ、姑の目で苛められないようにしてくれた。

☆一方、義理の弟嫁は、早くから姑には逆らっていた。それで、喧嘩をしょっちゅうしていた。
 障害の子供が生まれた時も、姑は責任を彼女の実家となすりあっていた。その時は義弟はアメリカでその代わりを務めたのは結婚前の主人だった。その時は婚約中で結婚はその後4カ月であった。

☆私の精神バランスは絵を描かないととれない。
 私は長野に行ってコテージでの最初の睡眠5時間でその1週間の疲労が癒える。
 2日目から絵を描き、読書をし、自然に抱かれ、一人がさびしくなると東京へ帰るのだ

 父のところに1回。
 父は何も言わないが「君は良くやったと思うよ。」とねぎらいがある。

☆姑も成長した。
 障害の孫を受け入れるのに時間がかかったが、私の長野行きを許容している。

☆主人はまだ成長が遅いが、今までのいきさつがあるので、私は生活費は絶対もらうようにしている。
それは実母から言われた。「あなたは、お金は要らないとすぐ言うけれど、絶対貰わなければだめよ。絶対要らないと言ってはだめよ。」
それがこん睡状態で入院中の実母の教えだ。

☆昨日、食事会で義理の弟嫁に質問。
「定年退職金の半分は奥さんが貰えるって本当?」
「そうよ。半分は奥さん。」
「わあ、良かった。ところで、主人の退職金っていくらくらいもらえるのですか?」
と義理の弟に訊く。彼も職業が同じなので良く知っている。
「〇〇円から〇〇円くらいだな、」
「そう!」

それで、少し希望がわいてきた。

☆主人の家は4代続きの婿養子なので、男たちの考えは女の家のお金でぜいたくをするというのが骨身についている。
 大姑は大原麗子さんのような美人で92歳で亡くなったが、お婿さんの海軍のハンサム夫は上野にお囲いさんがいて、姑は子供のころに連れて行って貰ったそうだ。1円も家にお金を入れなかったと、大姑は烈火のように死ぬまで怒っていた。

☆それぞれの家に歴史がある。
 姑はなかなか賢い。
 今は「私は馬鹿だから。」を連発している。
 昨日も恒例の500円玉貯金箱を大人を交えて当分に分けてお年玉をくれた。

 敵でもないが、「う~ん。お主やるな。」と言う感じの聡明さである。

 私は商人の家の大雑把な暮らしから、きちんとした家風の家である主人の家に嫁いで良かったと思う。多く学んだのだ。

 姑は賢く、英語の教師を25年くらい勤め、同窓会長もしていた。結婚した時は女子大生で主人が生まれ退学したが、その後はアメリカの図書館でも働いていた経験がある。とても合理的の考えの持ち主。

 小学校の同級生であった1年生から5年生の1学期まで、主人は毎日のように弟を連れて私の家に通っていた。
 今、訊くと、その当時姑はYWCAに通って、英文速記と英文タイプを習っていたのであった。それで、母親が家に居ずにさびしかったので私の家にランドセルを置いて通っていたわけ。

 結婚と出産のために大学を中退した姑も、大姑の貰いっこ(大姑の妹の子)で家の存続のために、小学校から帳簿を付けていたと言う。

 「母がね。宿題を終えるとすぐに帳簿をつけを義務づけたから、忙しかったのよ。」と言う。

 「お母様のようなのが『武士の家計簿』に出てきた。そろばん侍で4歳の時から、帳簿つけをされるの。4文とか。でもね。その子は出世して海軍の経済の監査役を任されていた。お母さまは素敵な教育をされたんですよ。」と私。

 姑もよく言う。「私の母に質素に育てれらて、帳簿も教えられて本当に良かったと思っているの。今となってみれば、子供のころに洋服を作ってもらえないくらいどうっいぇいうこともないもの。」

 「映画の武士の家計簿のばば様もかくしゃくとしていてね。孫に和算を試すの。鶴と亀の足が何本てね。」

 すると、義理の弟嫁が乗ってきた。彼女は数学専攻なのだ。
 「でもね。嫁入り道具、家のために全部質屋に売らされるのよ。お嫁さんよく耐えたと思うわ。」

 「本当にね。」

☆どの結婚生活も、どちらも多くの犠牲を強いられるのだろう。
 そうして、花が咲き、実が生る頃には成長して振り返り、やはり良かったと思える知性が身には宿っているのだろう。

☆これを書いている間に主人が生活費を持ってきた。うちの場合は銀行振り込みでその振り込みコピーを持って来るわけ。

 これも成長か?

☆私の課題はやはり娘の成長で、こんなに厳しい時代だが、夢を持って前に向ってほしい
 昨日は、「ママはいつも前へ前へって、そう言われた人の身になって考えたことある?自分はいつも正しいっと思っているでしょ。ママも反省しなさいよ。」と娘に言われた。

☆昨日、昼食後に主人と娘は武蔵小山に行って主人の出身高校を観てきたという。
 娘は恋人のようだ。
 そして、それはダイエットのために歩いたのが理由だとか。

 昼食会のときに「そういえば、お兄さん痩せましたね。」と義理の妹が言った。
「私が介護のときに困るから痩せなさいっていつも言っているから少しは気にしててね。減脂茶を買って飲んでるし、痩せて見えるパンツを穿いてるのよ。」と言った後に、娘と散歩に行ったわけ。

☆「娘は親孝行だと思うわよ。主人の仕事の方に行ったもの。二人で仕事の話ができるのよ。
それにね。毎晩、娘が主人のベッドに入って行ってキング・サイズのベッドで場所の取りあいをしていて、いつも片方がベッドから落とされているのよ。
私の方は、子供のころから『ママは体が弱いからママのベッドにド―ンと入ってきてはだめよ。そうするとママ死んでしまうからね。』と言い聞かせて来てからパパのベッドにドーンと入って行くのが習慣なのよ。こんな娘がパパ、パパと言ってくれるのよ。幸せじゃないね。パパは。よそ様の娘には肩を触ってもセクハラって言われる時代なのにね。」
 「どこが体が弱いのよ。ママ元気じゃない!」と娘。
 でも、ここ3日は自分のベッドで寝てますね。パパが体のあちこちが痛いと言うので。

☆こんなふうに誰にとっても厳しいと思われる結婚生活も存続中。
 でも、私って死にたい人は死ねばいい。別れたい人は別れればいいといい考えの持ち主
 自分としては、頑張ったわけではないです。

☆でも、夢はね、いい人生ありがとうって死んでいきたいわね。
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