Ruiico (ruiico) wrote,
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成人式!20歳の誓い!眩しいです!

 成人式が昨日で、テレビの映像で晴れ姿の若いお嬢さんや青年たちが見られました!
 京都では雪が降ったそうで、きれいに結いあげた髪や振袖の着物に雪が舞ってました。

 日本ってだから大事にしたい。
 
 どんな今どきの茶髪のお兄さんも金色に染めたお嬢さんも着物姿になる。

 言っていることはとても堅実で驚くばかり。
年金の老後のことや、仕事や生活のことに不安だらけだと言う。
今の若者は95%くらい不安を将来に持っていると言う。

☆自分は成人式で着ものを着た記憶が無い。でも、日舞やお茶を習っていたので着物をよく着ていたので、それに対しては恨みがましい気持はないが。

 娘には着物を着せた。ブルー地に貝桶の絵柄の振袖に、母が今思うと認知症になっていたかもしれないが、帯は私と妹のがあるから買わなくていいと言っていたのに、有賀写真館で撮影のために着付けの着物一式を銀座に運ぶ段になると「届ける」と言って、タクシーからほおり投げた風呂敷にはつまらないものばかりで帯などなかったのだ。それで、急いで三越に行って、キャッシュで無ければ割引が利かないと言うので銀行でキャッシングしたり、臨時の仮の糸で袋帯仕立てで間に合ったのだ。

 それは、娘も喜んだが、親の自己満足もあったかもしれない。

 20歳の女の子は美しい年頃だから。

☆自分が20歳の頃?
 もう、絵一筋でした。
 とにかくしつこく書きますけど受験勉強を2カ月で入ってしまったので、追いつくのが大変でした。
 凄く不器用なんです。

 特に、デザイン科って技術が大事で不器用でどう頑張っても人なみで無かったので、焦るとかの暇もないほどやることがいっぱいでした。

 アルバイトをして、ウルトラマンの円谷プロに行ったのもその時。
武蔵野だったと思います。秘密の基地の24面体のフーラーの地球儀を作っていた。
とてもシンナー臭くて、売れない絵描きや学生が生活のためにバイトをしていた。

 本当に、どうしたら絵柿として1人前になれるのかわからなかったし、女性だけど着るものや容姿を綺麗にするって考えたこともなかった。

 そんなお金があれば、美術の本を買いたいし、絵の具も買いたい。
 美しい着物を着て成人式?考えたこともなかったです。

☆それで、母親は華美なものが大好きだったのでよく喧嘩をしてました。
 中国で毛沢東の紅衛兵と言うのが闘っていましたが、母はおしゃれもせずスッピンの私に「紅衛兵!」って呼んでいたくらいです。

 それで、実家の2階が私の部屋で夜は特に美しいところなんですけど、いつも神様とお話してましたね。

 母のことなんかどうでもよかったです。

 自分にとっては物質的で虚栄心の強い母親は蔑視の対象ですから、母親は勝気で横暴でしたから、日常的に喧嘩してました。

 ちょっと説明不可能な人です。私への電話はすべて切ります。それ以上、気に入らなければ傷つけるようなことをよく言います。それで、多くの方から「あなたの家に電話をしたら、お母様に酷いことを言われたのでもう2度と電話をかけれません。」と言われたものでした。

 理由はなかったと思います。
 
 あるときに、私の住所録を捨てるとか、日記を破くと言うのは普通のことで、私はもうあまりにも慣れてしまい、他人から酷いことをされても動じなくなりました。

 母は、あるときは「有名な絵描きになれ!」と言うのですが、あるときは、「女の子は綺麗にしないと。」とまるで俗物ですから、いちいち相手をしてられなく、それを自分への侮蔑だとして悪さの限りをするのでした。

 「おまえなんか一生、地獄に突っ込んでやる。」とか「愛されたいんだろう?愛してやんない。」とか言ったかと思うと、ご飯に赤い毛糸のみじん切りが入っていたり、今では虐待と言う言葉がありますが、そのことはそんな情報のない時ですから、我が身の不幸を嘆いて、どうしたら、ここから脱却できるのかと「とにかく絵を頑張れば幸福になれる!」と確信して頑張っていた毎日だったのでした。

☆それが4月7日の早朝、イエス様から声をかけられることになった理由だと思うんですよ。
 神様は地上を観ていて、ちょっと救済をしなければと思ったと思うのです。

 それで、美と真理と愛はひとつ。
 あなたに美を約束しますから人類への愛のために人類救済のため真理を美を使って伝えなさい。

 と命じられたのです。

☆私は狂ったのか?
 そして、あまり幸福ではなかった人生に賭けとして、信じてやってみようと思ったのでした。

☆イエス様は、
 それには、
 私があなたに贈る
 辛いことや嫌なこと。
 不名誉なことや恥のことに。
 あなたは人類愛のために耐えて受け入れることが必要です。

 できますか?
 やりますか?

 と言われたのです。

 それで、従順に一切を受け入れるのなら、
 私はあなたに美を
 真理をつたえる才能を
 愛を
 与えます。

☆私は歓喜の中で
 「はい。」
 と答えたのでした。

 それが、私の20歳です。

☆☆☆
 今、思うとこれ以上の贈り物はなかったのです。
 着物や晴れ姿の結い髪よりも
 私にとっては大きな贈り物をいただいた20歳でした。

☆☆☆
 テレビを観ていると、美容界で成功している人が20歳で漠然とやることが分からないと言っていたのですが、人には人の生き方があって、私の娘はもう26歳なんですけど、まだそんなに明確にやることがわかってないようです。

 20歳で人生の目的はわかるのは本当にラッキーでした。
 若い時にエネルギーと若い時に世間の許しと言うのは40歳や50歳で同じことをするよりは数段有効なのですから。

☆ 
 私は私なりに、ずっこけながら私の使命を果たしてきました。
 そして、
 イエス様はそれをよしとされたんです。

☆私が35歳で使命を果たし結婚になった時も、実家の母親はできれば、私には絵描きになって自分とともに独身で一生暮らすことも望んでいたのです。つまり母には、葛藤があって矛盾というか、いいところに嫁にやりたいと言うのと、自分の孤独をいやすために私を置いておきたいと言う考えが混ざっていたのでした。

☆なんだかんだと言っても、私の結婚は結構意味のあるものでした。
 姑はどういうわけか、私とは相性が良くて、実母が「この娘は馬鹿だから。」みたいなことを言うと「〇〇子さんは馬鹿ではありません!」と言う強い女性でした。

 そして、さらに凄いのは「〇〇子さん。△男(主人の名)のことはほおっておいて、どうか絵を続けてください。」と言ったのでした。「粗食でいいのよ。ごちそうなんか作んなくてはいいから。」とも言ってくれました。

 そうして、姑はパリの個展にもハーバード大学での百人一首のプレゼンテーションにも来てくれ、私の仕事を観てくれるのでした。百人一首が皇后さまに献上されることになったときも、私がパリだったので代わりに水引きをして皇居まで運んでくれたのでした。

☆そうなのです!
 神様は35歳で、実家からようやく脱出させてくれました。
 そうして、絵があったから確かに生きることができたのでした。
 神様は約束を守られたのでした。

☆私が特別ではないのです。
 誰でも、本気になれば神様は答えてくれるんです。
 だから特権者として嫉妬する人は間違ってます。
 望めばいいんですよ。

 神様は万人に用意されてるんですよ。
 贈り物を!
 天国には受け取り人のいなかった贈り物がたくさん山積みになっているといわれてます
 求めてほしかったのに、求めなかった贈り物です。

 求めよ。
 さらば、求められん。

☆私の愚娘が、私の青春時代の頑張りを見てないので、「ママがどうして、そんな暮らしができるのかわからない。」とよく言います。

 「私があなたくらいの年齢のときは、もう『易カルタ』も出版してたしね。それに、、。」と嫌なことを言ってしまいます。

☆この間も、娘と同じ年ごろの絵を描くお嬢さんに、「いい教師と言うのはね。何をしたらいいのか教えてくれる。でも、残念ながら、日本の美術学校にはどんな教師はいなかった。自由にって言うけど、そうでなくてどこかだめかを的確に言えるレベルの教師もいるのよ。」と話したところです。

☆今の日本。今の世界にやり場のない怒りや悲しみを持っていて、世の不公平を嘆いていたり自分の環境を憂いていたりする人がいるかもしれない。

 でも、
 どんな環境だって這いあがれる。

 他人を利用するんでないんです。
 
 多くの人が何とかしてくれるのだろうと寄ってくるんですけど、それは違うと思うんです。

 他人がなんとかできるもんではないんです。

 自分で血と汗を流すんです。

 流した涙、 流した汗に相応に幸福が来る。

 それは神様は気前がいいなあと思えるほどです。

☆この間、弟の准教授を刺した自称画家の兄がいましたよね。
 それは、実家になかなか来ないで、家にお金を入金しないという理由だからと容疑者の言い分です。

 お金を出さない自由もあるんですよね。
 お金を出さないからと殺すのは、やはり間違っている。

 私も自分よりはるかに知名度もある国際的なアーティストにお金を贈って欲しいと言われ、送ったことがありましたが、返して貰おうとは思ってませんでした。

 ただ、彼女があとから手紙で「あのお金は貢物だ。」と書いて来た時に、この人はこういう生き方で生きてきたんだなあと思って国際的なアーティストって知れてるなあと内心思いました。

 私なら、「返さないけど、感謝してます。」とか言うんだろうと思いました。

 基本を他人を当てにすると、どうしても当てが外れた時に憎しみになるんでしょうか?

 むしろ、自称画家の自己正当化のように思えました。弟の方も、嫉妬深いしたかるから帰りたくないなあと思っていたかもしれません。

 准教授になるってやはりそれ相応の努力をした結果ですからね。

☆☆☆☆☆
 20歳って本当に眩しい!
 そして、それからどう生きるのも自由ですもの。

 私が20代の頃、50歳だという女性が貧しくて家賃が払えず、呼び出しては唾をかける人がいました。美人で元宝塚ということでした。私は目上の人ですから失礼なことを言い返したりはせずに、私が50歳のなったら、少なくても20代の若者にはたかったり唾を吐いたりするようにはなりたくないと思ったものです。
 60歳の修道院を出てきた修道女が「あの人(私のこと)を働かせて、一生左団扇で暮らすつもりよ。」と言っていたそうですが、考え方が間違っていますよね、他人に働かせていい暮らしがしたいとか、他人の善意(それも親戚でも親子でもない赤の他人に)を使って楽をしたいと言うのは間違っていると思います。

 やがて来る公平な老後の時間。
 老いて体調も悪く、孤独になるかもしれない。

 でも、基本的には他人を当てにしないで暮らしたい。
 そうして、播いた種を刈り取るのは自分。
 せめて人を恨んだりしたくない。

☆☆☆
 人生はとても公平で神様は実存する。
 63年生きた私はそう思える。

 だから、若くて取り返しのつくうちにいい種を播きたい。

 そして、いつも
 今からでも遅くない。

 人間は与えれば与えるほど豊かになるようにできている。
 
 私が比較的におねだりに寛容なのも
 おねだりする人はより貧しくなるでしょうが、与える方は何も減らないのですと思えるから。

 それに20歳から気がついた人は幸せですって!
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