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携帯がみつからない!「野口 一8初め)の世界」ブログを読んで!

 昨晩、パソコンと携帯を写真を取り込むために連結していたのですが携帯が切れてるのです。
主人が出かけたので持って行ったのでしょうか?

 今日は髪を乾かしながら自室の整理整頓と掃除です。とにかく、娘の衣服を箱に詰められてきれいに積んでおいたのですが、娘が衣服を取り出した時にそれが上から重なり落ちて、部屋の秩序をめちゃくちゃにしてしまったのです。

 そんなわけで、写真も携帯撮影ですので取れませんし、昨日に引き続き家から出る時間もないほど片づけに追いやられるでしょう。
 お昼はチーズトーストに主人が淹れてくれたコーヒーです。
 夜はリゾットとお野菜を長野から持って帰ったのと友人がくれた鴨肉の燻製の「守護の天使のスープ」にします。


☆昨晩、夜に深く読み入ったブログがあります。
「児童虐待をのりこえて 野口一(はじめ)の世界」という50代の画家のブログです。
きれいな澄んだいい絵を描かれます。
このブログのコピーです。

はじめに


ご訪問ありがとうございます。


虐待は、家族をむしばむ毒薬です。




虐待される子供は、それでも親の愛を求めてやみません。


決して、手に入れられないと理解するまで、


長い年月を要しました。


私が体験と影響をお話しすることで、


苦しんでいる方の、役に立つことを願ってやみません。


愚かな繰り返しは、ストップしなくてはなりません。

☆これは真実の実話で彼のブログを読むと、人間のことや、社会のことがわかります。
そして、神がいるのだと確信できるほど、ぎりぎりのところで彼を助ける知恵や助けがあって、彼は死なずに殺されず画家として生きてこれたのです。

 彼は極貧や家庭内の虐待から続く学校内のいじめや隣人のいじめにあいながら、無気力や暴力に襲われたりもしましたが、中卒で大工見習いをした後に30代になって定時制高校で学び卒業します。
彼のブログの文章も品格も卑しいところはひとかけらもなく、
もっとも多感な子供時代を辛い思いで過ごしながらも、荒まず、ぐれず、生き抜けてきたのは私には奇跡的なことに思えます。

 救いは、姉の援助と絵だったように思えます。

☆草間彌生さんが精神病院にいてアトリエに通いながらも絵を描き続け国際的になりました。

草間さんの文学の中に「蟻の精神病院」というのがあります。家庭内の邪魔者を片づけるために一生出れないように精神病院に入れる家庭があると書かれてます。

☆私の家でも、父親の弟が名古屋の八事に精神病院を経営というか理事をしていました。
それで、母親が脅かしに「言うことを聞かないと八事の精神病院に突っ込んでやる。」とよく言ったのです。
本当かどうかは知りませんが、精神病院の車は黄色だというのです。「黄色いブーブがお前を一生でれない精神病院に入れに来る。」と言うのが母の脅かしの常套手段でした。
それで、子供の力は微力ですから母には逆らえない子供として育ちました。

 親は正しいとか間違っているとかいうのでなく、絶対権力者でした。
私の家には自由なんてありませんでした。
洋服一つでも逆らったり着なかったりすると、打たれたりご飯をくれなかったりするのです。
母親の虚栄心の生贄という感じに使われていたのでした。

 理由は全く今もわからないのですが、私は母親から虐待を受けていたのです。
それで、父親が「継子苛めのようだ」とかくまって、なるべく家から連れ出してゴルフのお供に連れだしていたのですが、それが一層母親の感情を悪化していたのです。

 このはじめさんのように、虐待されている子供って勉強なんかどうでもよくなるんですよ。
兎に角、毎日、泣いてました。父親が仕事から帰って来ると、父親が慰めて母親を叱るので、ますます「父親に聞こえるよう泣く。」と憎悪をたぎらかすのでした。

 そして、子供のころから思い知ったのは、誰も助けてくれないということでした。

☆はじめさんの書いているように、家に中でどんなことが行われていようとも人間の社会では外見の普通の人を信じるのでした。
 母親も小学校の教師をしてましたから、「元教師として。」というので、世間は子供が家でどんなことをされているかは想像もつかなかったと思います。
 家庭は真っ暗で、子供たちは皆傷ついていたのですが、長女として逆らう者の代表として虐待を受けていたので他のものは庇ったり味方についたら、どんなことをされるか知っていますから母親につきます。しかし、心の底では更に自尊心が傷つけられていたでしょうね。

☆はじめさんは精神病院に2度強制的に家族の力でいれられ、強い注射で体も頭も機能されなくされるのです。
 肇さんは家出をします。しかし、親の力が大家にも及んで農薬で殺されかけたりもします。生きてると家庭内の秘密が暴露させられるのではないかと家族は思うのです。

☆私も自由のない家から出るのには、絵を頑張って少しでも早く自立することが先とがんばったのでした。
 しかし、母親は家から出られないように、私の絵の顧客名簿を捨てたり、仕事の電話をすべて罵ってかけさせなくして妨害の妨害をして自立できないようにさせたのです。

☆はじめさんはやはりどうしても絵が描きたいという希望で生き抜いてこれたのでした。
☆65歳にもなって世の中が少しは分かるようになると、絵かきとしてはこれが最も王道だということなのです。
 守護の天使がここぞというときには助けてくれるのです。
 そして、家から出て世の中に出ても、絵の畑にもいじめや妨害があり、家でいじめられていたせいか打たれ強くなり強く生きてこられたことを思うと、実に紙に愛されていると、今は神に感謝の気持ちがいっぱいになるのです。

☆いじめで自殺をする子供たちをニュースで知るたびに私は涙を出します。
 私は女学校の教師にもいじめられていましたが、戦争で結婚できなかった女性のいる時代でお茶の水女子大学を出た教師たちのほとんどは独身で、実に小さなことでいじめるのでした。
たとえば答案の文字が斜めだとかという理由です。

 父は「人間は幸福でないといけない」と言ってました。
 私もそう思うのです。
 私をいじめた中学や高校の教師も大学の教師も幸福ではなかったのです。
 不幸にはいろいろな形があって、離婚した家庭の娘と二号さんの娘が組んで17歳の時にはお風呂を覗きに来るような男を仕掛けられたこともあります。
その人が私が騒ぎ立てたので自殺未遂をして、私は自分が罪を犯したわけではないのに神に償いの人生を生きる誓いを立てたのでした。それが20歳の4月7日です。

 私は今も自分は普通だと思ってます。
 でも、資質が幸福な人なのです。

 母親にどんなにいじめられても、私は資質が幸福なのでいつも幸福ものの輝きを持っていたようです。

 父は私を眺めて、「おまえは、幸福だね。」と言ってました。
それは、父も同じで、自分より不幸な人にとことん尽くし、困っている人をいつも助け続けてきたので心から放つ幸福資質で、生まれ持ったものなのでしょう。

 母は比べると、とても裕福で自由になるお金で子供をコントロールしてもいたのですが、嫉妬心強く勝ち気で、いつも不幸な人でした。
これは、やはり持って生まれたもので、どうにもならないものだったように思います。

 私が母が蔑視する人にやさしくするだけでも、打たれたりしました。「あんな人間と付き合うんじゃない。父親にそっくり。」というのでした。
父親は裕福に生まれたのですが、母とは真逆で貧しい人や弱い人にはとても優しいのです
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