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女性の生き方!その3.

 ようやく兜町の中央警察署で古い携帯をゲットできました。
14日、午前11時頃、名も告げぬ女性が拾ってくださったそうです。
やはり路上に落ちていたそうです。

 感謝です。その方にいいクリスマスが訪れますように!

家に帰って、住所やメモの記録を写し、写真と記録を保存しているカードを抜き取ってからdocomoに送り返す予定です。
今は日比谷線の中です。

☆さて、反省の続きです。
その次から次へと押しかけてきた男性たちのためにボロボロになりながらも、私は自分の使命をしっかりと果したつもりでした。
殴られても食い物にされても「悪いことは悪い。」「間違っていることは間違っている。」というのが私の生き方で、奉仕もできるだけのことをするというのが私の生き方でした

 しかし、私は多くの現実に絶望しかけていたのです。
福祉も宗教も信じられないくらい腐敗してました。

 自分を無にして奉仕しても、どの人たちもいかに食い物にするかを考えているような人ばかりだったのです。

福祉施設では「ただで働かなくなるから、本当のことを襲えるんじゃないよ。」と言って、寄付で寄せ集めたものを経営者家族で分け合っていました。それが当然のようで後ろめたくもないようでした。

修道女でさえ、嘘までついて「ルイコさんをタダ働きさせて一生、左団扇で楽して生きていくつもりよ。」と言いふらしてました。

S神父は私縁で私に入ってきた仕事の報酬を自分のものにするのをあたりまえだと認識しているようでした。

 私は長い間、修道者というのはアッシジの聖フランシスコやマザーテレサのような人を言うのだと思っていたので現実には驚くことばかりでした。

 福祉社会も「税金がかかならい。」とうそぶいているようで不幸な人や困った人への愛情も感じられなかったのには驚いたものでした。親が優秀でないのでその子供たちには張り合いがないと児童施設のえんちょいうが言うのです。ボランティアががんばると保母さんたちが自分たちの魅力がないみたいでいやだというのでした。つくづく、親となるものは長生きして子供を守らなければならないと思ったもんでした。

 それで、幻滅することがあまりにもあったものですから結婚の道を選ぶことにしたのです。


 35歳で結婚した私はかなり従順なお嫁さんで姑との同居も嫌ということはなかったです。
代替、私はお見合いを一度もしたことがないのです。気がないのに失礼でしょう?気を持たせることをすることもしたことがありません。
いつも汚い格好をして異性からは愛されることの無いように努めてました。人を傷つけないように自分をなるべく低く見せてました。

 結婚してからはけっこ泣いての家族や結婚相手の考え方に沿うように努めました。
姑の勝気さもなるべくお応えするようにしました。

 それで、結構忙しかったのですが張り合いのある結婚生活でした。
 兎に角、打ち出の小づちと言われてましたから、要求されることが多かったのです。

貧しくても知恵と努力で脱出できました。

 子供は恵みで喜びをたくさん与えてくれて、幸せでした!

 このような幸福を他人が奪うことは罪です。

☆今時の考え方では、結婚してからも仕事をして続けて自分の自由にできるお金を自分で持っている方がいいということがあります。

 私も仕事は一生続けていこうと思ってます。
時には、お金にならないボランティアをも含めて仕事は自分を助けてくれるものでした。
(広尾の喫茶店で一休みしながら書いてます)

 そして、自分の汗水垂らしたお金は自分を自由で自立してくれる道具になりました。
そんなわけでパリ個展もアメリカの美術学校も自分のお金でいけたのでした。

☆姑のいいところは、教師らしく頑張れば認めてくれるところで「息子のことはほおっておいていいので絵をがんばりなさい。」と建設的なところです。
 主人も教師らしく、頑張っている分には応援するのです。
 あまり家庭的な仕事の不備では注意されません。

 そんな感じで生きてこれたのでした。
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