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パリ!

 小島善太郎さんは1892年に新宿で生まれた。父親が事業に失敗して小学校を中退してでっちとして働いた。
兄は行方不明、姉は殺されて両親は相次いで亡くなった。

 絵が好きで陸軍大将が援助をし、野村証券会社も創立者が彼をパリに留学させた。

 善太郎さんは真面目で勉強家でパリでも良いチャンスがたくさん訪れた。

☆善太郎さんがマルセイユからパリにいったのは1922年。日本からマルセイユまで船で40日間もかかった。
古きよき時代でドイツに留学する医大生がたくさん乗っていた。

 佐伯祐三や里見勝蔵等のいるパリでルーブルでの複写やデッサン教室通いやサロン-ド-トンヌの入選や実りあるパリ滞在を送る。

 1925年、帰国。
 30歳くらいから34歳くらいまでの青春だという。

 彼は貧しく苦労したとのことだが、パリではピアノもならいダンスも踊り、絵を描き、この時代のパリ帰りはエリートとして扱われたと思う。フランス人も日本の美術やアーティストには敬服して大事にされたようだ。

☆私もパリにいったのは30歳。そして1年半滞在。37歳のとき7カ月くらい滞在したのでトータルでは2年半くらいいた。

 自分はパリではデッサン教室にいってない。
 でも、1980年度のカレンダーができていたのでフランス人にずいぶん買ってもらえたし「易カルタ」パーティでフランス人をたくさん占えた。個展もできたし美術館に買い上げられた。そんなに悪くはなかったかもしれない。そして、デッサンの方はボストンでその後学べた。

 この間、テレビで観たパリのクリスマス。
やはりパリは素敵だ。

 善太郎さんの本に出てくるバンセンヌの森はわたしも2歳だった娘と幾度もいったところ。動物園があるのだ。
何か思い出が重なる。

 善太郎さんはレンブラントを模写していかにレンブラントがすごいとわかったという。
モデルを雇って油彩を描くが貧しい老婆をあえて選ぶ。苦労した人生で見捨てられなかったが、その娘もモデルとして描くが人妻であったモデルに一緒にナポリに行こうと約束するが結局はすっぽかし病気になり、偶然パリで再会したときに、彼女は主人の子を宿していてそれが運命だと知る。
                                   佐伯祐三さんなどとの交遊のあったパリでは小島善太郎さんは孤独も経済的な不安をも体験した。

☆芸術の生みの苦しみ。
それぞれが大きな代償を払って人生を輝かす。

 今、与えられた地下という贈り物!
今年はもう少しで終わり。

 来年のために、より仕事をしやすく片付けて東京へ帰りましょう。
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