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守護の天使のお茶!暴力の悲しさ。


☆暴力で死ぬ人がいる。
 死ぬことないではないかと人は思う。
 しかし、暴力はそれほど受ける人間にとっては絶望的なものだ。

 

 なぜ、人は暴力を振るうのか?
 なぜ、人は他人を奴隷して使いたがるのか?

 

☆私が暴力体験を受けたのはいつだったか?

 

 アルバイトでカラーラボ現像所で結婚写真の修正をしていたとき、定時制高校で学んだという経営者は奥さんをよく殴っていた。
 
 唖然と見ていた私にも殴りかかってきた。「コンプレックスの固まりになるから見るなよ!」と、手加減しない男の拳骨で殴りかかってきた。

 

 このアルバイトは大学がデザイン科に限って斡旋してきたものである。

 

 私のどこが悪いのだろう?

 

☆教養とは何か?
 
 大学時代には同級生が歩いているだけで、暴力を降るった。

 

 ○泉節子さんが、「結婚するんじゃないよ。」と平手打ちをしてきた。

 

 他人からみれば、無視すれば良いじゃないかと思えるだろうけど、私はその暴力の恐ろしさ、激しさに35歳まで結婚しなかったわけで、暴力にはそうゆう力が本当にあるのだ。

 

☆だから、教師に度重なる暴力を受けて自殺をせざるを得なかった事実がわかる。

 

 優しい子供は暴力を振るう人間を告発もしないし軽蔑もしない。

 

 ただ、絶望するのだ。
大好きなスポーツに暴力があることに。

 

☆暴力から逃げることも現実には難しい。

 

 大学の時にありとあらゆる妨害や意地悪をしつくした○藤節子さんが、結婚して名古屋に嫁ぎ遠くに行ったときに、安堵をしたものだが、24,5歳のときにいきなり私の自宅にやって来て、玄関で殴る蹴るを始めたときの絶望。

 

 「どうぞ、お上がりなさいな。」という声も聴こえないようで、感情をコントロールできないようだった。

 

 わざわざ、出向いて(ついでだと思うが)ひとの家まで来て凶暴とも言える力を込めて荒れ狂うのである。

 

 私も親に通告してやろうかと思ったこともある。しかし、ある品性がブレーキをかけたのである。

 

 だから、彼女の対象になって暴力を振われた人間でなければ想像もつかない事実として闇に葬られたのである。

 

☆不思議に、引き摺って時給130円で働かした台湾人も○藤節子さんも、私のことを「友達だあ。」と言うのであった。

 

 友達?

 

 友達にそんなに失礼なことをするのだろうか?

 

 そう言えば、「前世、姉だったのに弟の自分の世話をしなかったから、今世、世話しろ。」と言って、私が風邪で倒れている時を選んで、すんでるアパートを乗っ取って追い出した秋田の大学生も?「友達になりたい。」と言っていた。

 

 友達になるのにそんなやり方があるだろうか?

 

 秋田の修道院から脱出して電話を掛けて来て「孤児が可哀想だと思わないか?」と、児童福祉施設で働かせた60歳は、「一生、タダ働きさせて左団扇で楽して暮らすのよ。」と公言していた。

 

 この人たちは一体何だろう?

 

 この人たちのコミュニケーションが暴力であり、恐喝なのか?

 

 こうした体験は被害者に絶望をもたらすのだ!

 

 「孤児を可哀想と思ったことから、災いを引き寄せた。」

 

「否、それは孤児への同情を使って自分が楽するために他人をタダ働きさせる悪魔のような知恵だ。」

 

 気を付けなければいけない。

 

 大阪の暴力教師も自分の野心のために、運動好きな高校生は殴られ続けて、どこか違うといきる場所がない現実に絶望したのだ。

 

 そんな人を許してはいけない。

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