Ruiico (ruiico) wrote,
Ruiico
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デザート!ほろ苦い人生のデザート!


 栗と苺があって、苺が1つしかなかったので取り合い。
  なんとなく懐かしい味でした。

☆やはり年なのでしょうか? 疲れが出てます。 ☆「お人好しは舐められる」という言葉に感じ入ってます。  キリスト教には「許し」「赦し」の教えがあります。 どんなにひどいことをされても許すという教えです。  しかし、現実社会には「許し」のある人は「立派な慈悲深い人ではなくて、お人よしの愚か者」となります。  キリスト教では、自分の罪だけでなくて他人の罪をも償いなさいと教えてます。  現実にこれを実践すると「頭のおかしい人とか揶揄して奇特な人」と呼ばれます。 ☆先程、書いた「お人好しの劣等感」という題の文章に、差別される子供という特定があります。  私は長女の4人兄弟の先頭ですが、「中間子」という言葉があることがわかりました。  中間子というのは真ん中の子供で、ふつう、最初の子供や末の子供ほど大事にされないという意味で使うそうです。 ☆私どもの家族の遺産相続で、中間子の長男と次女が「私たちは親に愛されなかった」と両親を恨み、親の一番大事にしていたものをことごとく壊したのでした。 それも弱り始めたり、意識不明になって病院に寝ている間に。  末の弟は自分は両親に愛されたので、両親が好きだし両親の介護やお世話は喜びだったというのです。  私は母親と喧嘩ばかりしていて愛されていたと思えなかった日もあったのですが、基本的に弱い者いじめは大嫌いなので、両親が弱い老人になった時にはいたわりの気持ちが優って、少しでも幸せにしてあげたいと、母親とは毎週火曜日に会いよく歌舞伎や旅行に誘って一緒に食事や季節を楽しんだものです。  しかし、奇妙なことに中間子の妹と弟は、一緒にそんな経験もなく、妹が鹿児島に就職して移転したのは今から13年も前で、母も行こうと思えば行ける体力だったのに鹿児島には一度も行ってないのです。妹がアメリカで大学院と博士課程を卒業した時も両親二人とも駆けつけてはいません。それは今から25年から30年も前のことで、両親は行こうと思えば行けたのでした。  それが、差別というかたんなり手抜きなのかもしれませんが、私が37歳でパリで個展をした時も(妹は33歳だったはず}、母親は行きも帰りも手伝いと称して断っても来たのでした(姑も帰りはきた)。  上の弟は、母に「自分の娘に洋服を買ってあげてほしい。」「自分の娘をヨーロッパに連れていってほしい。」と頼んだそうです。母親は上の弟に私の娘に洋服を買ってあげていることやヨーロッパ旅行に連れて行った(旅費は私たちの分は自腹で母親のおごりではないです)ことを話したのでしょう。そして、結婚を反対されたとはいえ、自分の子供が差別されていると思って傷ついたに違いがないのおです。  そのせいか、その娘は母の入院ももう7年くらいになるのですが、一度も見舞いに来たことはなく父の葬儀にも顔を出しませんでした。 ☆私と末の弟が当たり前のように親の介護をし、末の弟が母の倒れる前も月に一度は訪れて母の届かない電球を替えたり母にCDプレイヤーを贈って心和ましているのに比べ、まったく寄り付かなかった妹と上の弟のやり方はあまりにも違うものであったのです。  末の弟とよく話していると、親というものは4人の子供とあまりにも違う関わり合いを持っていたので新発見が多いのです。  2階の母の部屋は上の弟の部屋と末の弟の部屋を今から30年ほど前にリフォームして母の部屋となっていました。 母はベッドを入れて、広くなったその部屋を自分の人形部屋にしていたのです。 ☆私は結婚して娘がハイハイし始める時から、その2階の母の部屋によく行きました。  私が娘と一緒に父の家で居候しながら百人一首を作っていた時もその部屋があって、母は子供のお守りをしてくれました。  主人も日参して母の作った料理を父と母と一緒に食べて帰ったのです。  そのころは妹はアメリカの大学で大学院に行っていた頃でした。  母の人形部屋には母が倒れるまで幾度も幾度も通ったのでした。  主人の家が建築中の頃は、おひな様のその2階の部屋に飾って祝ったものです。  母にとって人形だった私の娘のために、玩具も食器も子供の寝巻もエプロンもあったのですから、もし、その後独身の妹が見たら(37歳で博士号を取って日本に帰国し、50歳で就職するまで両親のところに住んでました)面白いわけがないのです。  私には妹の気持ちがわかります。  妹はいわゆるいい子の優等生で、大学でもオールAの成績で真面目という感じです。 それに比べて、私は優等生型ではなくて自分の好きなものには多少頑張るのですが、好き放題してきたのです。 家事だってできません。特別きれい好きでもなく、家庭生活がまっとうにできるタイプでないのです。  それなのに、姉は結婚して子供を産んだために、親が夢中になって大切にされている。  自分のほうがはるかにいい子で優秀で立派なのに!  この不条理には我慢できない!  両親も私も恨んだのでしょう。  日本社会は女性の博士にはけっしてやさしくはないし、大学への就職も日本の大学院を出てないのでコネがなく厳しく、非常勤時代は薄給で末の弟に言わせれば親の援助もなかったそうです。 ☆末の弟は母が倒れた日に、父がお寿司を買ってきて「一緒に夕飯を食べよう。」と声をかけても返事がなく2度目に8時ころ声をかけて、自分の部屋に中から鍵をかけていて入れず、外のベランダからカーテン越しにのぞいたところ、母が痙攣しているのを見て末の弟に電話をかけて呼び出したときに初めて入ったそうです。  末の弟はベランダから1枚ガラスでできているガラスを割ろうといったところ、父が「早まるな。修理が大変だ。」と鍵屋に電話をするかと思案中にようやく合鍵が見つかってドアから入ったそうです。  泡を吹いていたので、「どうしようか?」と私に電話をしてきたので、「救急車を呼びなさいよ。」と言ったのが私でした。  そして、母の部屋を片づけるように頼まれたのと、保険証を探すように頼まれたのが私で、それがまた、兄弟の憎悪を増したのでした。  長男が「なぜ、自分に知らせてくるのが最後なのだ。」という怒り。その時に、妹に母が倒れたことを知らせ、妹から長男に知らせが飛び、末の弟は救急車で母を連れて病院を探していた最中でした。 ☆母はもしかしたら、子供のいない末の弟に気を使って2階の自分の部屋が子供用のものがいっぱいあったので入れなかったのかもしれません。上の弟は家には大学の時から寄り付かず、父の経営するゴルフ練習場の2階に泊まっていたのです。もちろん末の弟と同じサイズの自分の部屋があったのにもかかわらずです。 ☆どこまでが差別化というのは難しいのです。  アメリカの大学に大学院と博士課程の4年間を留学していた妹の学費も滞在費も決して安くなく、それは父が払っていたのですから私なら十分愛されていたと思ったでしょう。  上の弟も会社を継がせてもらったのですから、差別されているとは言えないでしょう。  それを、中間子の二人が自分たちは愛されていなかった」だなんて! ☆末の弟は自分は両親にはやるだけのことをしたので、後悔はない。介護もいろいろな人から教わって十分なことができたといいます。  私も母への憎しみがいつの間にか消え、毎週火曜日1時間くらい遅れて来る母を忍耐強く待ち、いろいろおしゃべりをしたり買い物を一緒にしたりしたので、後悔はないのです。    そして、父親の介護を一生懸命にしてくれた末の弟の気持ちを大事にしたいと彼の意見に心を寄せているのです。  我が家の相続は上の弟と妹の総取りの計画があって、末の弟が父の遺志と違うので判を押さなかったので凍結されてます。 ☆「親の財産を当てにするな。」って父に言われたよと末の弟。  私も「お金は自分で稼ぎなさい。」と父に言われてきました。 ☆それと、苦笑いしてしまったのは、末の弟が少し言いにくそうに、「田園調布の家を残したいと両親が言ったのは、妹が鹿児島から帰ってきて住む家があるようにというのと、お姉さんが(私のこと)いつ、離婚して帰ってきても住む家があるようにという親のはからいだ」ということでした。  「出戻りかあ。」  可能性が一番あるのに、そんなことを思いもつかなっかったおめでたい私です。  ありがたいなあ。 ☆そういえば、結婚式の時に「離婚して親に恥をかかせるんじゃないよ。」といったのが母親で、父親は「辛かったら帰っておいで、その時は持って行ったものは全部持って帰ってくるんだよ。」といったのでした。  「あんなに、何もできない子が結婚生活ができるんでしょうか?」と母親は不安で7キロもやせてしまったそうですが、父親は「案外、持つかもしれないよ。」と言ったそうです。 ☆今、私の友人は「嫁ぎ先の財産が破たんしたら借金はルイコさんが背負うことになるのよ。別れないと大変なことになるわよ。」という意見と、「これはチャンス、離婚時(どき)。アート優先で生きるときよ。」という意見と、「あなたは大丈夫でしょうけれど、ご主人が一人で生きていかれるかしらね。」というのがあります。  皆が、主人の「お前の遺産はなしだ。家を取られるからハンコを押せ。」というのはおかしいというのでした。  まあ、私の父からの遺産を嫁ぎ先の財政の破綻の補てんに使いたかったのが真相であることはわかりやすいのですが、もう少し賢く説明ができないのでしょうか?  私は主人の家は身分相応に暮らせばいいと思います。借金までして大きな買い物を私たちももう65歳なのですから止めて、つつましく暮らせるはずというのが考えです。娘に負担もかけたくないし。 ☆というわけで、弁護士に明日呼ばれているので事務所まで行きますが、何でこうすっきり事が運んでいかないのでしょうか?  このところ、どこも世智辛くなってきて、隙間があれば少しでも多く買わせようとします。  ちょっと前まで、日本人は靴など黒、茶、白の3足位だったのにテレビで収納の番組があると女性の靴が100足くらいあるのでびっくりします。  スニーカと長くつ、ブーツ。私などせいぜい10足くらいですが。 ☆私の場合、売れない絵を描き続けるという贅沢があるので、靴どころでなく他は自分では勉強のつもりの読書と映画が出費の最大費用。  それでも、感謝していますよう。  魂がいつも喜んでいますもの。  明日も無事に終わればいいなあ。  今のところ、天気予報を見ていると木曜日金曜日と晴れるそうなので、そのころ神山に行きたいと思ってます。  やはり、絵を描かないとまずいでしょう? 、
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